会議室でのドラマは、議論の中だけから生まれるわけではない。思わぬところに、ドラマが生まれることもある。


たとえばそれは、座り位置だ。


テレビ番組の会議は、通常、週一回行われる。たいてい同じ会議室であり、集まるメンバーも同じなので、回を重ねるうちに、自ずとみんなの座り位置が決まってくる。


だが、あの時は、普段とは違う会議室だったのだ。


いつも僕が座るあたりに、いつもとは違う顔があった。


その会議には二つの制作会社が参加している。いわば二つのチームが参加しているわけだ。会議の進行役から見て、いつも右手にAチーム、左手にBチームが座る。いつの間にか、そういう座り位置になっていたのだ。僕が座るのはいつも右手、つまりAチームの側だ。しかし、その日そこに、Bチームの人間が座っていた。


それを見つけた僕は明らかに戸惑っていた。そんな僕を見て、彼は笑顔で、


「入り口から近かったからさ」


いつもの会議室は進行役席の正面に入口がある。だから右に行こうか左に行こうが、入り口からの距離は変わらない。だが今日の会議室は、右手の席のすぐ近くに入り口がある。なんということだ。彼は単に入り口からの距離で座り位置を決めていたのだ。


「入り口から近かったからさ」


来る者みな、怪訝そうな顔をするなか、彼はそう繰り返した。


この日の会議が、どこか居心地が悪いものであったことは、言うまでもないだろう。


また別の会議の話である。その会議は巨大な会議で、4チームが参加し、総勢50名以上になる。


会議が終わりかけの頃、進行役が思い出したように、


「あれ、Cチームは来てないの?」


言われてみれば、毎回数人が参加しているCチームのメンバーが誰もいない。


「そこが空いていたからさ」


確かにいつもCチームが座っている場所が、ごっそり空いている。会議が終わるまで、その事態に気づかないのもなんだが、理由も告げずに大勢で会議を休むCチームもCチームである。


「誰も来てないの、Cチームは」


「来てます」


壁際の目立たぬ場所で、か細い声があがった。


「今日、ウチのみんな、別番組の収録がありまして」


「君は行かなくていいの」


「僕、呼ばれなかったんです」


なんだ、これは。新手のいじめか。


それが発覚したのも、座り位置からだ。もし座り位置が毎回バラバラだったら、Cチームがいなかったことに気づかなかったかもしれない。


まったく座り位置は油断ならない。


だから、座り位置がまだ定まらぬ、新しい番組がスタートするこの時期は、会議室に入るたび、どこか落ち着かない気分がつきまとうのだ。


 「老人たちが放射線量を計っている」


近所の飲み屋の店主から、そんな噂を聞いたのは、震災から数ヶ月経ったころだった。


時間に余裕のある老人たちが、ガイガーカウンターを手に町内の放射線量を測定しているのだという。

ひと昔前ならば、「SFのようだ」と感じたに違いない光景だ。


しかし、いまやはそれは、現実なのだ。


最近も、新聞に大きく広告が出ていた。


「家庭用の放射線測定器」


まるで電子体温計のようなその測定器は、ホームセンターやドラッグストアで買えるそうだ。


この広告を見たとき、僕が気になったのは、放射線測定器がここまで手軽に買えるようになったことではない。


どれだけ儲けるつもりなのだ。


新聞に広告を出すのに、いくらかかるかは知らないが、紙面のほぼ半分もの大きい広告である。それなりの金額だろう。そんなに費用をかけて広告を出すということは、それだけ売れると見越しているということだ。


たしかに「不安」はビジネスチャンスである。それにしても、さすがにこれはちょっとわかりすぎやしないか。

そしてもう一つ気になったのは、開発プロデュースした会社である。


「株式会社タカラトミーアーツ」


タカラトミーといえば、オモチャの会社ではないか。近頃は、こんなところにまで手を広げているのか。


この分では、携帯電話に放射線測定器がつく日もそう遠くないだろう。

いや、もうどこかがすでに、開発を始めているかもしれない。

 


「食べ放題」という言葉は、食欲旺盛な人たちには、たまらなく魅力的な言葉に映るようだ。だが、一歩引いて見ると、どうかと思うようなことになっている場合がある。


その看板を見つけたのは、ランチタイムを控えた虎ノ門の裏通りだった。


「鶏唐揚げ食べ放題」


子どもならば、大喜びだろう。子どもは鶏唐揚げが大好きだ。ふと気がつくと、食卓にのった鶏唐揚げを一人で平らげていることもよくある。


しかし、ここは虎ノ門。ビジネスマンの街だ。スーツ姿の彼らが、鶏唐揚げをたらふく食べるというのか。


食べるのだろう。


だから、こんな大きな看板が出ているのだ。


そして、よくよく看板を見ると、さらに気になる一文があった。


「今日は何個食べますか?」


食欲旺盛な人たちにとっては、なんと挑発的な言葉か。


「先週は8個食べたから、今日は10個食べるぞ」


「だったら俺は15個食う」


みんな、競うように食べるに違いない。昼からそんなにたくさん鶏唐揚げを食べて、胃もたれしないか心配になる。


だが、食べるのだ。


おそらく彼らは、食用油を燃料にして、動いているのだろう。


その後、別場所で再び「鶏唐揚げ食べ放題」を見かけた。今回は、その場所に唖然とさせられた。


ラーメン屋だったのだ。


唐揚げラーメンなるメニューでもあるのだろうか。ラーメンと鶏唐揚げの組み合わせというのは、かなりしつこいがするのだが。


その一方で、ラーメン好きと鶏唐揚げ好きは食欲のタイプが似ている気がする。だから、彼らは喜々としてラーメンに唐揚げを入れるだろう。そう、麺が見えなくなるほどに。


このような鶏唐揚げ食べ放題の話をすると、食欲旺盛な人たちは、必ず同じことを尋ねてくる。


「どこの店?」


そんなに食べたいのか。


どいつここいつも四十過ぎなので、よくそんなに鶏唐揚げが食べられるなと呆れると、ある者はこう返してきた。


「鶏唐揚げは、別腹だから」


知らなかったよ。


出てくる奴が、どいつもこいつもどこか間違っているという事態がある。


クリスマス直前に彼が来日したのは、日本に住む彼女に会うためだった。二人は彼女がアメリカにいる頃、つきあいはじめた。その後、彼女が帰国。それでも交際は続き、前年の暮れにも、彼女と会うために彼は日本に来たという。恋愛が持つその力には、まったくもって頭が下がる。


この話にはもう一人、登場人物がいる。前年に彼が滞在したホテルの従業員A子だ。A子は彼にひとめぼれし、従業員と宿泊客という立場を忘れ、熱烈にアプローチしてきた。もちろん、彼は拒んだ。彼女がいるし、そもそもA子がタイプではなかったからである。しかし、それでもA子のアプローチは続き、結局、Facebookで「友達」となったのだ。


そして今回も、彼は同じホテルを予約した。A子の件はあったが、過ごしやすいホテルであったし、まさか再びA子がアプローチしてくるとは思わなかったからだ。


だが、その考えは甘かった。日本に来る数日前、A子からメッセージが届いたのだ。


「今度、日本に来るんでしょ。会いたいな」


なんとA子は、ホテルの予約者リストの中から彼を見つけたのである。この時点で、ホテルを変えればよかったのだが、面倒だったのか、時間がなかったのか、彼はそうしなかった。それがややこしい事態を引き起こすとは思わずに。


その後も、何度かA子から誘いが来たが、彼は受け流し続けた。日本に来るのは彼女に会うためだ。A子に会っている時間などない。


ところが、クリスマスイブの日、彼はA子と会っていた。というのも、アメリカを立つ直前に彼女からこんな連絡が来たからだ。


「ごめんなさい、24日と25日、急遽仕事になってしまいました」


心の広い男性である。仕事ならば仕方ないと諦めたものの、一人でクリスマスを過ごすのはやはりさびしい。そこでA子の誘いにまんまと乗ってしまったのだ。


彼と会っている間、A子は積極的に接近してきた。ずっと拒んでいた相手が、しかもクリスマスにデートしてくれるのだ。これは脈ありと勘違いするのも当然である。


あの手この手で接近してくるA子をなんとかかわし続けた。それなのに、どうしてそうなってしまったのかわからないが、A子は彼の部屋に入ることに成功。そのままだらだらと居続け、あげくのはては「終電がなくなっちゃった」と言い出した。


なんて露骨なやり方なんだ。


ここで誘いに乗ってはいけないと心を固くした彼は、彼女にベッドを譲ると、自分はソファに陣取り、ほとんど眠れぬまま朝を迎えた。


こうしてなんとかA子の猛攻から逃れた彼だった。これでようやく本来の彼女と会うことができる。


だが、彼女と会うことはなかった。再び連絡が来たのだ。


「風邪をひいてしまいました」


いいじゃないか、風邪ぐらい。遠路はるばるアメリカから会いに来てくれたんだ。顔ぐらい見せてやればいいじゃないか。いっそのこと看病してもらったらどうなんだ。


そう言いたいところだが、その前にたいていの人はここまでの話を聞いて、こう思うに違いない。

「その彼女、他に男がいるな」


僕もそう思った。普通はそう思う。しかし、彼だけはそう思わない。彼女のことは信じきっているのか、それとも馬鹿なのか。


それにしても、もし本当にそうなら、彼女も正直に言ってやればいいのに。いったい、どういうつもりなんだ。


まったく彼も彼女もどこか間違っている。そしてA子にいたっては、完全に間違っている。だから、この話が悲劇か喜劇かとするならば、どう見ても喜劇である。


東京でカレー屋をやってた知人が、今度、西の街で新しくカレー屋を開くことになった。土地勘のない街で、よく店が開けるものだと思っていたが、やはり開店前から想定外のトラブルが起きたという。


新しい店は、元そば屋だった場所だ。一応、飲食店仕様にはなっているが、内装はもちろん、厨房も手直ししないといけない。


厨房の改装で最初の手をつけたのは冷蔵庫だった。大きな業務用の冷蔵庫が残されていたが、古く使い勝手も悪いため、新しいものを入れることにしたのだ。


業者を呼んで、まず古い冷蔵庫を撤去する。だが、動かした冷蔵庫の後ろに思いもしないものがあった。


隣の店の壁だった。


厨房の壁がくり抜かれ、そこに冷蔵庫がぴったりとはめ込まれていたのだ。


前の店の持ち主は、どうしてそんなことをしたのだろうか。少しでも厨房のスペースを広くとろうとしたのだろうか。


とにかく、このまま放っておくわけにはいかない。厨房の壁に穴が空いているのだから。だからといって、同じ大きさの冷蔵庫を探してきて、はめ込むというのも現実的ではない。仕方なく、工務店を呼び、板でふさいでもらったそうだ。


しかし、開店前のトラブルはこれで終わったわけではなかった。


飲食店を開く際のきまりはよく知らないのだが、事前に保健所の検査が入るらしい。それにそなえ、厨房の最終確認をしていた時のことだ。換気扇を回そうとしたが、動かない。前日はちゃんと動いたのに、今日は微動だにしない。


モーターに異常があったのかと思い、換気扇のモーターが置かれている二階へ行った。そこで再び、思いもしない光景を目にした。


モーターがなかった。


昨日まではちゃんと換気扇は動いたのだから、そこにモーターはあったはずだ。なのに、今はない。どうやら昨夜のうちに盗まれたらしい。


「この先、ちゃんとやっていけるかどうか自信がなくなりました」


知人は力なくそう言っていた。


だが、こんなことを言うのも可哀想だが、今回の出来事はあくまで序章に過ぎない気がする。この先にも、数々のトラブルが待ち受けているに違いない。なんといっても、そこは換気扇のモーターが盗まれるような街なのだから。



自分が食べるものが、どこの誰が作ったものか知りたいというのは、まっとうな欲求である。そんな消費者の声に応えて、いつの頃からかスーパーの食品売り場で、生産者の写真やプロフィールを添えた米や野菜を見かけるようになった。


それはよいことだと思うが、同様のものが増えてくると、他と差別化を図ろうとして、生産者表示をするにしても、今までとは違った方法でしてくる者が現れる。


「(手紙のついた野菜)霜降り白菜」


最近、スーパーで見かけた野菜である。


一見、気の利いたネーミングのようだが、果たして本当にそうなのかと思う。というのも、ひと口に手紙といっても、その種類はいろいろだからだ。


「恋文のついた野菜」


これはよさそうだ。


「年賀状のついた野菜」


これも正月限定ならば悪くない。


しかしこれはどうだろうか。


「置き手紙のついた野菜」


白菜に添えられた手紙を開くと書かれているのだ。


「探さないで下さい」


探さないで下さいとはなにごとだ。作り逃げか。まったくもって信頼がおけない。そんな白菜など買うものか。


米や野菜の生産者表示がされるようになり始めた頃、そのうち肉や魚にも同じように生産者が表示される日が来るのではと思ったものだ。


「このハマチ、私が育てました」


魚はいい。だが、微妙なのは肉だ。


「この黒豚、私が育てました」


生産者の顔写真だけならまだしも、一緒に黒豚の姿が映っていたら、買う方としてはあんとも複雑な気分になる。


などと思っていたら、近所に見つけてしまったのだ。黒豚をウリにしている飲食店だ。店の看板には肉や野菜、そして料理の写真がコラージュされている。その隅に問題の写真はあった。


「仔豚を抱える男」


大きさから考えるに、生まれて間もない仔豚なのではないか。かわいい黒豚の赤ちゃんだ。まるでぬいぐるみのようじゃないか。あいつを食うのか。あいつじゃなくとも、あいつの家族をしゃぶしゃぶにするのか。一気に食欲が失せる。


だが、一部の例外を除けば、生産者を明らかにするのは悪いことではない。それは食品だけに限らない。「言葉」も本来は生産者を明らかにするべきだろう。少なくとも僕は、生産者が明らかな言葉の方が信頼できるのだ。

 



「特技はなにか」と問われた時、何と答えるのが適当なのだろうか。


特技を問われる機会はしばしばある。就職の面接で尋ねられることもあるだろうし、結婚相談所のプロフィールなどには必ず書くのではないか。僕の仕事がらみだと、タレントのプロフィールにもよく特技の欄がある。


特技と聞いてまず思いつくのは、スポーツ関係だ。


「特技・テニス」


そう書く者もけっこういるのではないか。だが、これでは趣味との違いがわからない。だいたいスポーツの場合、どの程度の腕前ならば特技と言ってよいものなのか。全国大会優勝レベルか。ベスト4では駄目か。県大会優勝はどうなのだろうか。


スポーツ以外ならば、こういうのはどうだ。


「特技・英検2級」


2級というあたりも、特技と呼ぶのは微妙だが、それはさておき、これだと特技というよりは資格という感じが先立つ。


では、どんなものならば特技として妥当なのか。特技という以上、他の人には真似できない「特別な技術や能力」ということになるだろう。


「特技・大食い」


たしかに度を越した大食いは他の人は真似できない特別な能力である。だが、それを特技として誇っていいのかという気もする。少なくとも、結婚相手を探している人間が「特技・大食い」と書いてはまずい。けっしてそれは配偶者となる人間の売り文句にはならないからだ。


ならば、これはどうだろうか。


「特技・誰とでも友だちになれる」


これは素晴らしい能力だ。どんな奴とでも、すぐに仲良くなれる。誰もがうらやむ能力である。だが、子どもならともかく、いい歳した大人が「僕、誰とでも友だちになれるのが得意なんですよ」と言うのはどうなのか。「こいつ大丈夫か」という気分にならないだろうか。


だからといって、大人風にアレンジすればよいというものでもない。


「特技・狙った女は絶対に落とせる」


これもうらやましい能力だ。しかしそれを特技だと豪語するような男はどうなんだ。信用ならない。


まったくもって、特技を考えるのは面倒だ。だからといって、特技の欄に何も書かないというのは、最悪の選択である。


そうこう悩むうちに、ついつい定番の答えを書いてしまう者もいるのではないか。


「特技・読書」


読書というのは趣味として書く定番中の定番で、実は趣味がないと言っているのに等しいつまらない答えである。だが、特技となれば話は別だ。「特技・読書」というのはいったいどういうことだ。ただ本を読むだけではない。ものすごく速く読めるのか。だったら、速読と書くか。同時に10冊の本を読むことができるのか。あるいは、バク転しながらシェイクスピアの原書を読めるとか。それじゃあ、曲芸である。


特技はなんとも厄介だ。しかしそれを厄介と思わず、すらすら答えらるその能力こそ、実は最大の特技な気がしなくなくもない。



よく行く近所の和食屋のカウンターに紅葉があった。見ていると、その葉をちぎって料理の飾りに使っている。そうか、そういうための紅葉か。とはいえ、その鮮やかな紅に、ついつい目が留まる。酒を飲みながら、目の前の紅葉を見ているうちに、ふとこんな考えが浮かんできた。


「紅葉はどんなきもちなのだろうか」


ご存知の方も多いと思うが、「紅葉」という名の植物はない。「紅葉」というのは、秋になると葉を紅く変える木々の総称である。我々がよく「紅葉」と呼んでいる植物の正式名はカエデであるが、それはそれでややこしいので、ここでは「もみじ」と呼ぶことにしよう。


「もみじはどんなきもちなのだろうか」


我々がもみじに注目するのは、普通、その葉が紅く色づいた時である。だが、もみじも最初から紅いわけではない。当然のことながら、緑の時もある。しかしその時は目を向ける者はなかなかいない。淡い緑の春も、深い緑の夏も気にするものはなく、みんなが目を向けるのは、色づきはじめた秋だけである。


人間にいうならば、愛らしい子ども時代にも、はつらつした青春時代にも、働き盛りの時期にも目を向けられることなく、老いはじめた時に注目を集めるようなものだ。もみじにしてみれば愚痴のひとつも言いたくなるのではないだろうか。


「私にだって青々とした時があったのだ」


「元気に繁り光合成に励んだ時期もあったのに」


そう思うのではないか。紅く色づいたもみじは、姥桜ならぬ姥かえでなのだから。


来年は春や夏にももみじに目を向けてみよう。その時まで覚えていればの話だけれど。


褒め言葉のつもりなのだろうが、よくよく考えると、褒めているのかどうか微妙な気分になってくる言葉がある。


「体当たり演技」


女優の演技を評して、よく使われるこの言葉もそのひとつだ。


不思議なことに、この言葉が使われるのは必ず女優である。


「向井理が渾身の体当たり演技で魅了」


そんなふうに書かれているのを見たことはない。


体当たり演技という言葉、褒め言葉として使われているようだが、その言葉の響きから、繊細な演技や味のある演技といった、いわゆる上手い演技は連想できない。思い浮かぶのは、力まかせな荒くれた演技である。


体当たり演技という言葉が褒め言葉となるのは、とても限られた場合だけではないだろうか。


「女子プロレスラー」


「女相撲の力士」


「当たり屋」


その女優が、もしこのような役を演じているのであれば、それは最高の褒め言葉に違いない。


演技に対する褒め言葉としてよく聞く言葉には、こんなものもある。


「演技派女優」


これも妙な言葉である。


女優というのは、演技するものである。つまり、女優である以上、本来全員が演技派なはずである。そこにわざわざ「演技派」とつけるのは、「冷たい氷」というようなものではないか。


と、書きながらも、「演技派女優」に込められた意味合いはわかっている。演技をしない(できない)女優がいるということだ。そう考えると、「演技派女優」という言葉は、そう評されなかった女優に対する、悪意のこもった言葉ともいえる。


だが、世の中にはさらに難解な褒め言葉も存在する。芸能ニュースにこんな見出しがあった。


「演技派女優・鈴木杏が魅せる体当たりの演技」


上手なのか、下手なのか。あるいは、上手な人が、わざと荒削りな感じに演じているのか。それがすぐわからない時点で、褒め言葉としてはかなり微妙である。


近所に旨いうどん屋があるのだが、ある日、店の前にこんなはりがみが出された。


「小学生以下のお子様はお断りします」


狭い店なので、さわぐ子どもがいて、他の客に迷惑をかけたのだろうか。子どもが騒いでいても注意しない親が増えているので、それに辟易としたのだろうか。


ところが、店主の知り合いを通じて聞いた事情は違っていた。


「注文しない子どもに席をとられてしまうと商売的にきびしい」


なるほど。たしかに小学生以下の子どもが親とは別にうどんを一人前頼むことはなかなかないだろう。繰り返しになるが狭い店だ。しかも、うどん屋に客が来るのは昼食時と夕食時という限られた時間である。そんな短い商売時に、注文しない子どもに席だけはとられ、他の客を帰すというのは、店の経営的にきびしいというのはわかる。


相手が子どもならこんな断り方もできる。


だが、相手が大人だとこうはいかない。


近ごろ、一人前を飲み食いしない大人、「半人前」の人たちが増え、地元の個人経営の飲食店、特に飲み屋の店主たちを悩ませている。


彼らは、たとえば4人で来て注文する。


「ビール1つとコーラ3つ」


そんなに酒が飲めない奴がいるなら飲み屋に来なくてもいいではないかと思うが、料理も充実している店なので、食事をしに来たのかもしれない。しかし、彼らは続けてこう注文するのだ。


「フライドポテト1つ」


以上。それで終わりである。そしてそのまま2時間近く居座るのだ。ファーストフードこれでは商売あがったりである。店側が想定している2時間の客単価としては半人前、下手するとそれ以下だろう。


だから大半の店主は、頃合いを見て空いたグラスを片付け、次の注文をするか帰るようにうながす。だが、中にはそれができない弱気な店主もおり、彼らの店は「半人前」の人たちの襲来で、日々やせ細ってきているという。


「半人前」の人たち急増の背景には、金がないということもあるだろうが、ファーストフードやファミレスによって作られた価値観というのも大きい。


チェーン店の増加は、街の個人店を衰退させる。しかし、敵は店自体だけではなかった。その店で育った「半人前」の人たちも、個人店を脅かす存在だったのだ。


「料理と飲み物は必ず一人一品注文して下さい」


そう店頭に貼り出す店が現れる日もそう遠くない。だが、一人前の、つまり普通の大人はそんな店、敬遠するだろう。悪循環だ。


こうしてどんどんつまらない街になっていくのである。

  

 

母が亡くなったので、生前の希望に従い献体することになった。それで告別式の朝に担当者と打ち合わせをした。

 

母が献体希望の登録をしていたのは、自宅に近い聖マリアンナ医科大学。まだ健康だった頃に登録したのだが、その後、やはり家から近いという理由でこちらの大学病院で治療を受けた。

 

「まるで病院が第二の我が家」

 

親しい人には笑いながらそう言っていたそうだが、亡くなってから再び同じ場所に戻ることになるとは。どれだけ聖マリアンナ医科大学が好きなんだと思ったが、それもまた縁である。

 

担当者からあらためて献体の目的について説明を受ける。故人が望んでいても、この時点で家族が嫌がる場合もあるし、今ここで拒否されてもかまわないと言われる。もちろん、拒否などしない。

 

初めて詳しく聞く説明の中には、知らないこともいろいろあった。

 

すべての医大がそうとは限らないかもしれないが、今回の場合、葬儀は普通にやっていいということだった。湯灌してもいいし、棺の中に花や故人の愛用品を入れてもかまわない。さすがに花は大学に着いた時点で捨ててしまうが、棺や愛用品は実習が終わるまでとっておき、一緒に火葬してくれるという。

 

しかし一番驚いたのは、いつ帰ってくるかという話だ。

 

「平成26年の5月の終わりになります」

 

2年半後。

 

さすがにそんなにかかるとは思わなかった。

 

半年前後する可能性はあるが、今のカリキュラムから考えるとそうなるそうだ。

 

別にそれはそれでかまわないけど、2年半というのは予想外だった。

 

無事、告別式を終えて出棺する。普通ならばこの後火葬場に向かい、火葬炉の前で最後のお別れをする。そして焼きあがるまでのなんともいえない中途半端な時間を過ごした後、骨上げとなる。

 

だが、今回はその一連がない。棺を乗せた車は大学へと去っていく。それで終わりだ。

 

なんとなく宙ぶらりに気分だった。句読点ではなく、句点を打っただけ、という感じ。「葬儀が終わった。」ではなく、「葬儀は終わった、」と記したい気分だった。

 

あるべきものがなくなった時、はじめて何故それがあるのかの意味がわかる。火葬し、骨を拾うというのは、残された者たちが区切りをつけるのにぴったりの儀式なのだ。

 

だから今の僕は宙ぶらりだ。

 

しかしそれが不快というわけではない。こんな不思議な気分、誰でも味わえるもじゃないからである。

そもそも芸能人の恋愛に「報道」という言葉を使うこと自体どうかとは思うのだが、それはさておき、芸能人の恋愛に関する報道を見ていると、気になる言葉がしばしば登場する。

 

たとえば、「真剣交際」だ。

 

なぜわざわざ「真剣」とつけるのだろうか。

 

「交際」という言葉自体、普段の会話の中で使うことはめったにないが、仮に使うことがあっても、「真剣交際」とは言わないだろう。

 

なのに、どうして「真剣」とつけるのか。

 

芸能界には真剣ではない交際があるからだろう。それもかなりの割合で。「真剣」の対義語は難しいが、この場合は「不真面目」あたりか。つまり、芸能界には「不真面目交際」がたくさんあるゆえの「真剣交際」である。 

 

と、ここまで書いて、「不真面目交際」よりもっといい日本語があることを思い出した。

 

「不純異性交遊」である。

 

芸能界は不純異性交遊まみれだからこその「真剣交際」である。

 

あるいは日本人らしい表現だと思う言葉もある。

 

「お泊り愛」

 

この言葉が示しているのは、二人が泊まったという事実だけではない。

 

「泊まって朝まで麻雀」

 

間違ってもそんなことではない。だいたい、二人じゃ麻雀はできない。

 

「泊まって朝まで『24』を観た」

 

「泊まって朝まで壁の塗り替えをした」

 

「泊まって朝まで写経をした」

 

もちろん、すべて違う。

 

「お泊り愛」が暗に表すのは肉体関係である。一晩泊まって肉体関係がない場合もあるだろうし、泊まらずともやる時はやるだろうが、それはともかく、「セックス愛」では身も蓋もない。だから「お泊り愛」である。日本人らしいなんとも奥ゆかしい表現である。

 

「お泊り愛」という言葉を見るたびにある古い言葉を思い出す。

 

後朝。

 

「きぬぎぬ」と読む。男女が共寝をした翌朝のことである。もともとは「衣衣」と書いたそうだ。男が脱いだ衣と女が脱いだ衣が重なりあって「衣衣」。素晴らしい発想だ。そんな後朝という言葉を産む感覚が現代に受け継がれたものが「お泊り愛」ではないだろうか。

 

「お泊り愛」

 

この言葉を最初に使った人は偉大である。

 

取材者が気をつけなければいけないことはいろいろあるが、その中の一つに髪型がある。

 

モヒカンやドレッドといった髪型は、ある種の取材には不適切なことは容易に想像つくが、もっと一般的な髪型であっても取材によってはふさわしくないことがある。

 

それは女性のヘアケアに関する取材だった。

 

取材に行ったのはディレクターとAD。ともに男性である。女性のヘアケアに関する取材に男が行くこと自体どうかと思われるかもしれないが、テレビ業界ではよくあることなので、問題はここではない。

問題は二人の髪型である。

 

二人とも坊主頭だった。

 

完璧に剃り上げた、いわゆるスキンヘッドではないものの、髪の長さは数ミリの、いわゆる坊主頭だったのである。数いるスタッフの中で、よりによってなぜこの二人が取材に行くことになったのか。ディレクターにいたっては、以前、小学生のころからずっと同じ髪型だと言っていた。

 

「僕、リンスってものを使ったことがないんですよ」

 

そりゃそうだろう。数ミリの髪じゃ、どんなリンスでもしなやかにも艶やかにしようにもないだろう。

取材に来られた方も二人の頭を見て驚いたはずだ。

 

「シャンプーで大切なのはすすぎです。洗うのにかけた時間の2倍の時間をかけてすすがなければ、頭皮に汚れが残ってしまいます」 

 

そんなふうに話しながら、前を見れば、坊主頭が二人並んでいる。この人たちで私の話していることがちゃんと伝わるのだろうか。さぞや疑心暗鬼になったに違いない。

 

「お前、普段、石鹸で頭を洗ってるんだろ」

 

取材結果を聞きながら、ついついそう軽口を叩きたくなる。

 

「ちゃんとシャンプー使ってますよ」

「なに、使ってるんだよ」

「TSUBAKIです」

 

またすごいシャンプーが出てきたものである。TSUBAKIといったら日本の女性の美しい黒髪のイメージで売っているシャンプーだ。しかし今、目の前でTSUBAKIを使っていると言った男は、数ミリの髪である。なぜそんな男がTSUBAKIを選んだのだ。

 

「香りがいいんですよね」

 

いつその香りを感じるのだ。洗っている時か。少なくとも洗いながした後に香りが残るとは思えない。

 

取材に行く時は髪型に気をつけた方がいい。ヘアケアの取材に坊主頭がふわしくないのはまだわかりやすい方だ。

 

「ったく、七三分けなんかで来やがって」

 

そう怒られる取材先があるかもしれない。そんな相手にはどんな髪型がふさわしいのかは想像もつかないのだけれど。

 

こんなイベントをやります。

 

◆古舘プロジェクトpresents◆
「アングルINVITATION2011~放送作家だらけのトークショー2~」

 

バラエティー作家だらけの楽しすぎるトークライブが、昨年に続き、またまた開催決定!!

放送作家に聞いてみよう!!な180分。

どんな業界裏話が飛び出すのか!?

全テレビ好き、絶対必見!!

 

【出演】樋口卓冶、鮫肌文殊、山名宏和(古舘 プロジェクト所属放送作家)

 

【Guest】大井洋一さん、すずきBさん、

     そーたにさん、都築浩さん

     中野俊成さん、町山広美さん、

     村上卓史さん(※50音順)

 

【日時】 10/2(日)OPEN18:30 / START 19:30

 

【場所】新宿LOFT/PLUS ONE (新宿区歌舞伎町1-14-7 林ビルB2)

 

 

チケット:前売¥2300/当日¥2500(共に飲食代別)

※前売券は8/27(土)よりローソンチケットにて発売!!【Lコード:34291】
 

 

僕の住む街はラーメン激戦区である。テレビや雑誌に取り上げられるような店が何軒もあり、新しく参戦するにはかなり厳しい環境だ。だが、それでも定期的に新しい店ができる。

 

半年ほど前、目立たぬ場所に新しいラーメン屋が出来た。幸い、すぐに雑誌だかテレビだかで紹介され、行列のできる店となった。しかし、実際に食べに行った地元住民の評判は芳しくない。

 

「ぬるいんだよ、あの店」

 

ラーメンがぬるい?どういうことだ。マズいというのはまだわかる。作り手に力量がないのか、あるいは味のセンスがないのだろう。だが、ぬるいというのはどういうことだ。手抜きか。店主が猫舌なのか。あるいは、新しいねらいなのか。

 

「激ぬるラーメン」

 

そんなもの食べたくはない。

 

その時の一杯だけがぬるかったのか、それともいつでもぬるかったのかはわからないが、マスコミで出来た人気など所詮は徒花だ。あっという間に行列はなくなり、暇な店となってしまった。

 

そしてこの夏、今度は3軒同時にラーメン屋がオープンした。そもそも真夏にラーメン屋を始めること自体どうかと思うのだが、オープンしてしまったものは仕方ない。

 

そのうちの1軒に食べに行った知人に感想を聞いた。

 

「熱中症になるかと思った」

 

味ではなく、いきなり店内環境の話である。とにかく猛烈な暑さだったという。

 

「店の外の方が涼しいんだよ」

 

彼が食べに行ったのは、猛暑日だった。それなのに外の方が涼しいとは。一応クーラーはあるらしいが、効果はまったくなかったそうだ。

 

店の様子はわかった。問題は味だ。

 

「脂がいっぱいだった」

 

そうか、それ系のラーメン屋かと思っていると、感想にはまだ続きがあった。

 

「それにあまり味がしなかった」

脂っこいのに薄味。どういうことだ。あっさり薄味はわかるが、こってり薄味とは。とても美味そうには思えない。

 

「だけど食べているうちにだんだん平気になってきたよ」

 

熱中症になりそうな暑さにやられたのか、食べた者の感想もどこかまぬけである。できることならだんだんではなく、最初のひと口目から美味しくあってほしいものだ。

 

しかし一番だめなのは、すぐ近くに同傾向のラーメンを出す有名店があるにも関わらず、こちらの店の方が値段が高いということだ。ちゃんと近所の店のことを研究したのか。あまりに迂闊じゃないか。

 

ぬるいラーメンを出す店。

 

熱中症になりそうな店。

 

彼らはこの激戦区で本当に勝つ気があるのだろうか。