菓子を盛る器は縁高、菓子碗、銘々皿、食籠、菓子鉢などが使われますが、茶事では主に縁高が使われます。
縁高とは正式には縁高重と言い、折敷の縁を高くした形で、五つ重ねにして一番上に蓋が添っているもので、客一人に対してお菓子を出す際には、五つ重ねず縁高一つに蓋を乗せ、蓋の上に黒文字の楊枝を添えて、お出しします。人数に応じて縁高を重ねて使い、人数分の黒文字の楊枝を添えて、お出しします。茶会では銘々皿、菓子鉢が使われます。一人の客に対して銘々皿に黒文字の楊枝を添えて、お出しします。
大勢の客に対しては菓子鉢に人数分の主菓子をもり、黒文字の箸を添えて、お出しします。また、干菓子を盛る器は干菓子盆、高坏、振り出しなどがあります。主に漆器、木地の干菓子盆が使われ、振り出しは金平糖や甘納豆などを入れ使われます。
これらの菓子器は盛る為だけのものではなく、それぞれのお菓子の良さを引き立てる重要な役割を持っているのです。
茶道の菓子は大きく分けまして主菓子と惣菓子があります。
主菓子とは薯蕷饅頭、きんとん、練り菓子(こなし)、餅菓子、竿物菓子などのほか、季節により花見団子や月見団子、 粽、水無月、竹流しなどの生のお菓子を言います。
惣菓子は煎餅、打物菓子、押物、州浜、有平糖などの乾いた干菓子を言います。茶事の流れでは、濃茶頂く際に主菓子を頂き、薄茶を頂く際に干菓子を使います。また、大寄席の茶会では薄茶にも主菓子を使います。
茶道に使われる菓子には銘を付けて出されます。その日の趣向、季節を銘で表現するのです。それにより季節感が生み出され、五感を創り出します。
例えば、白いきんとんが黒塗りの縁高に出されたとします。蓋を開けた瞬間に見る喜び。白あんのわずかな香。黒文字で切る感触。美味。そして、亭主に銘をたずねれば、「雪化粧」。五つの感覚は喜びを最大限に引き出してくれます。
お菓子を頂くことは、喜びを頂くことです。さらに、お茶への喜びを引き出し、膨らますことが茶席のお菓子の役割なのです。
お客様はあいさつに扇子を用いります。
扇子は中国から渡ってきたイメージがありますが、日本を起源とするものでして、平安時代初期に作られた「檜扇」(ひせん)というものからはじまります。このころは身を飾るものとして使われておりました。鎌倉時代に入り中国に渡り、室町時代には「唐扇」として逆輸入されます。このころから扇子は狂言、能に使われるようになります。「シテ」は舞の表現に使い、「地謡」は結界として使います。
茶道ではこの結界の意味が残り扇子をあいさつに使います。扇子を前に置き結界を作ることで、相手への敬意の意味を表すのです。
お辞儀は「真・行・草」の三種に大きく分けられます。「真」は最も丁寧な気持ちと動作を表し、床の拝見・主客のあいさつ等に用いられます。「行」は主客の軽いあいさつ・相客のあいさつに用いられます。「草」は最も軽いお辞儀で亭主が点前中のあいさつ・会釈に用いられます。
このような三段階の分類は、書・花・連歌・絵画・能・狂言・日本建築・庭園といった日本の伝統文化全般で見られ、どれもが基本となっています。
日常の生活の中では挨拶をすることが必ずあります。
朝、誰かに会えば「おはようございます」昼には「こんにちは」夜には「こんばんは」お客様が来た時には「いらっしゃい」別れ際には「さようなら」御礼を言うには「ありがとう」と様々あります。これらの挨拶には『お辞儀』をするのが自然であります。近頃では軽く手をあげてすませることもあるでしょうが、それは身近の人や目下の人に対するものでして、本来の挨拶は尊敬や親交の気持ちを態度に示すために『お辞儀』を致します。日本人の挨拶はこの頭を下げる『お辞儀』という所作で敬意を表しているのです。
茶道の中でも『お辞儀』は大切なことです。どの様なお客様であろうと『お辞儀』から始まり『お辞儀』で終わります。この始めと終わりのあいさつは、正式な茶事では無言で『お辞儀』を致します。言葉を使わずに心を使うのです。まさに「茶の湯をば心に染めて眼にかけず耳をひそめてきくこともなし」。心から心へと伝えるのです。
南方録に「掛物ほど第一の道具ハなし、客・亭主共ニ茶の湯三昧の一心得道の物也、墨跡を第一とす、其文句の心をうやまひ、筆者・道人・祖師の徳を賞翫する也」。とあります。
茶席の床の間に飾られる掛け物は、茶道具の中でも第一に重視されるものであります。その掛け物の中でも特に墨跡は最重視されて非常に尊ばれます。利休の茶の湯は掛け物が中心に成り立っており、現代の茶の湯にも、その思想は続いております。
墨跡とは、禅宗高僧、中国の宋・元時代の高僧から大徳寺住持歴代の書かれたものをいいます。それらの内容は、仏教の経典、参禅をうけるのを許可した証状である印可状、禅語を一行に書かれた一行物とあります。墨跡以外の掛け物では、懐紙、色紙・短冊、消息などが掛けられます。懐紙は檀紙・杉原・奉書紙に和歌や連歌などが書かれたもので、後には霞引・遠山・飛雲・打雲などの模様のある懐紙にも書かれており、和歌は日本人にとりまして特に親しみがあり、懐紙の美しさ、床映りの良さから掛け物として好まれております。色紙・短冊になりますと和歌だけでなく俳句や詩などが書かれたものがあります。消息は手紙のことをいい、書かれた人の人格・趣味が現れており、墨跡や懐紙のように格にとらわれず、侘び茶の風情を味わうことができるので、茶人には最も喜ばれます。
床の間に飾られている、これらの掛け物を拝見するのには、ただ書を読む、ただ絵を見るだけではありません。
表具の様子、一文字・中廻し・風帯に使われている裂地、軸木の素材など掛け物には様々な見所があります。それら全てを味わうことが床の間の拝見となります。そして、書かれた人の思い、表装した人の思い、掛けられた亭主の思いを拝見することが客の心得であり喜びであります。
誰もが和室の床の間といえば、掛け軸が掛けられているイメージを持つことが出来るはずです。豪華な額に入った油絵が床の間に飾られている姿を目にしたことがありますが、何か落ち着かないものです。床の間はその空間のメインになるのですから、茶席でなくともバランスを良く保つ方が望ましく感じます。
茶席に入り、最初に拝見するものは、床の間に飾られている掛け物であります。掛け物は亭主のその日の趣向と思いが飾られます。客はその掛け物を読みとることで、亭主の心を感じ取とることが出来るのです。掛け物により、亭主と客は一座建立と相成ります。
茶道の起源は風炉からはじまったと言われております。
その当時は神仏に供えるといった儀礼的な要素を持っており、季節を問わず一年中使われておりました。今日の茶道は客をもてなすことに心がけており、季節感を生かし、五月の初風炉から十月の名残までに行われます。
風炉とは、湯を沸かすために用いる茶道具で土製・唐銅製・鉄製などがあり、その中に灰を入れ、火が良く熾きるように形を整えます。最高の御馳走といわれるのは、その灰形です。亭主の心入れと力量が、灰形に現れると言われております。
10月の風炉から炉の設えに替えることを「炉開き」といいます。
炉は茶家にとって大切なモノであり、炉を開く頃は茶人の正月とも言われます。
儀式として伝統を持っているのです。
古くから、陰暦十月の亥の日に炉を開きます。
茶室に対して炉は切るといいますが、このときはハレの日でもあり開くといいます。
炉を開き、初めて入れた下火に炭手前にて炭を継ぎ、善哉もしくは亥の子餅をいただき、茶をいただきます。
炉開きは茶人にとってハレの日であります。
茶道では炉の設えと風炉の設えの2つのスタイルがあります。
11月から4月の間、すなわち冬と春は炉であり
5月から10月まで、夏と秋が風炉であります。
炉は囲炉裏から取り入れられたものであります。
一尺四寸(約42.4cm)四方の寸法で、
土の炉壇が基本でありますが、鞍馬・伊豆産の石、銅・鉄・陶器の炉壇があります。
炉壇の上には木製の炉縁を掛け、中に灰を入れ、形を整え、五徳を据え、釜を掛けます。
炉縁の木、炭の火、灰の土、釜の金、湯の水で木火土金水の五行を象っているのです。
切る位置にも決まりがあります。
四畳半本勝手・四畳半逆勝手・台目切本勝手・台目切逆勝手・向切本勝手・向切逆勝手・隅炉本勝手・隅炉逆勝手の八種類になります。
また、極寒の頃に開く一尺八寸(約54.5cm)四方の大炉もあります。
茶について語り合うと
「茶道は敷居が高いイメージ」とよく聞きます。
その通りであります。
もし侘び茶を志しますと
そこは手の届かない遙か高いところにあります。
ですから、最初の敷居はホンの少しの高さです。
それほど深く考えることではありません。
一段ぐらい登ってみてはいかがでしょうか。
この「守破離の守破離」をはじめて二年
そろそろ茶道についても語って見たいと思います。
過去に雑誌などで書いた原稿を直しながら少しずつ記していきます。
茶道には耳慣れない言葉が幾千とありますが
茶道には敷居の高さを心地よさに変えてしまう奥深い魅力があることを知って頂けたら幸いです。
京都・哲学の道にある洗心橋を渡ると右に行けば法然院があり、左へ行けば銀閣寺への近道があります。
毎年、桜の頃には哲学の道は観光客で賑わいますが、今年は寂しい桜並木でした。

哲学の道の桜は橋本関雪の奥様が植えた関雪桜がはじまります。その中央にある洗心橋の「洗心」とは心を洗うという意味です。悲しい心を洗って来年は沢山の人で賑わってほしいです。
真夏のど真ん中に茶会がありました。
夏の時期に茶室は襖から簀戸に変わりまして、涼しさを演出してくれます。

床の間には、霊元天皇懐紙
「亀は万年の友
しづかなる心の友と住む亀の世々を数ヘム洞のうちかも」
青磁の花入は、龍泉窯砧手鯉耳です。

田安三玄斎好の円融台が更に涼しさを感じさせてくれましたが、小庵好の巴釜の切合わせと三島暦手四方瓶形水指の取り合わせに趣を重ねてくれてます。
簀戸や紗・絽の着物など、目で見る涼しさは心も涼しくしてくれますね。
そんなこと思う夏の一コマでした。
目に青葉 山ほととぎす 初がつおの好季節、初夏は緑がとても気持ちよく風が光っております。
こんな時は外で一服頂きたくなるのですが、都合良く六志会の大中さんが足を痛め庭で盆略となりました。大中さんはボーイスカウトの経験もあるアウトドアーの達人です。ですから、ひもの扱いは六志会一で梱包の達人とも言われているのです。
庭の梅の木から青梅を摘み、花の代わりといって飾りまして、稽古となりました。


客は縁側に座り、緑を眺めながらの大中さんの心のこもったお茶を頂きました。
茶道の天敵は正座であります。足が痛いとの理由で稽古を休む人・やめる人が沢山いますが、大中さんは茶道をはじめた頃に足を痛めまして正座が出来ない状態となりましたが、稽古を一度も休まずに、机に座り盆略の稽古を半年間続けました。一度やりはじめたことを何があろうとやり通す。それが茶人魂です。大中さんはそれを持っていたのでしょう。
そして、この風流ある野点をするとは、大中さんはどんどん茶人に向かっているのかもしれません。
ちなみに「茶人」を辞書で引くと『普通の人と違った好みのある人。変人。変わった人。物好き。風流人。』などあります。やはり、ピッタリです。
それでは、また。