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MEDIA SHOP レクチャーシリーズ : 〈民藝〉のレッスン

VOL. 2 無銘を纏う

 

高橋理子 × 鞍田崇

 

 

[ 日 時 ] 2012年5月10日(木) 19:00-21:00

[ 場 所 ] MEDIA SHOP (京都・河原町三条)

[ 料 金 ] 1,000円  *定員60名・要予約





レクチャーシリーズ「〈民藝〉のレッスン」の初回、「『名まえのない道』をたどる対話」では、いまあらためて見直されている手仕事が志向しているものを、塗師の赤木明登さんといっしょに考えました。



手仕事、とりわけ赤木さんが手がけてらっしゃる漆器の何がいま求められているのか、何よりも赤木さん自身がそのどこに惹かれているのか。手仕事への注目というモードを「民藝」という言葉で呼んでいいのか。そもそもそれは言葉で表現し、名づけるべきことなのか――。ふたりの議論は、いつしか「物を越えた物」、「そこに何かが“在る”という感覚」の探究といった哲学的な展開を見せつつも、赤木さんのユーモアあふれる語り口に助けられ、終始和やかにはこばれました。



大きな問いかけへの結論は、もしかしたら二人の間で、はじめから出ていたことなのかもしれません。そしてまた、その結論は――決してネガティヴでも悲観的でもなく――最後までお互いに交わらないものだったのかもしれません。



特に、言葉をめぐって。赤木さんは、近年の手仕事への再評価の動向について、しいて名づけることをよしとせず、ボクは言葉で切り込みたい思いを捨てきれず、平行線。それでも、互いに語り合うなかで、交わらないかのような「何か」がポジティブに昇華されていった気がします。平易な語り口で、この時代の物づくりと暮らしの可能性を語ろうとする言葉たち、それらの言葉を共有する時間、それがいまのボクたちに必要であるとあらためて感じたひと時でした。




 

 

そんな思いを抱きつつ、vol.2 では、少しギアチェンジ。いかにも民藝の話にふさわしい器ではなく、こんどはファッションがテーマです。



ゲストはアーティストの高橋理子さん。シンプルな円や直線をモチーフとして、現代ならではの図柄を提案されながら、着物や、いわゆる和小物を扱い、伝統的な素材や技術、それらのスキルに長けた職人たちとのコラボレートを推進していることで知られます。



何よりも印象的なのはポートレートかもしれません。高橋理子という存在、その作品や活動のアイコンと化している、といってもいいでしょう。それは、纏われている自身の作品イメージとあいまって、一見、機械仕掛けの人形のように、どこか無表情でありながら、しかも、不思議な魅力を感じさせます。



今回は、そんな高橋さんといっしょに、文字通り身近に接し、ときに時代の価値観をもっとも端的に表すファッションという視点から、いまの物づくりと暮らしを取り巻く環境と課題を再確認するとともに、その可能性を考えていきます。ひとりでも多くの方にご参加いただけたら、うれしいです。


 

 

[ profil ]

高橋理子 TAKAHASHI Hiroko

1977年生まれ。アーティスト。東京藝術大学大学院博士課程修了。博士号(美術)取得。2006年、株式会社ヒロコレッジを設立。

円と直線のみで表現される図柄を特徴とし、身近に存在する固定観念を覆し、思いを巡らせるきっかけを生み出すことをコンセプトに活動。着物に新たな視点で向き合うためのポートレート作品や、様々な産地や職人と共にもの作りを行うプロジェクト「HIROCOLEDGE」など、ジャンルの垣根を越えた幅広い表現活動を行っている。

現在、Web Magazine OPENERS で「THE BEGINNING OF A NEW TRADITION : いまここから始まる伝統」と題して連載中。また、 『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』にも、「無銘を纏う」というテーマで寄稿している。

 

 

[news]

高橋理子シークレットBAR : 05.11. (fri) デザイナー柳原照弘さんのアトリエ(京都・北山)にて。




【予告】

vol.3 「交感のメソッド」  坂本公成 (振付家)  6月7日(木)

vol.4 「personal products」  猿山修 (デザイナー)  7月5日(木)

vol.5 「住まいを紡ぐ」  大西麻貴 (建築家)  8月9日(木)

vol.6 「野菜のフォークロア」  江頭宏昌 (農学者)  9月6日(木)



[お問い合わせ・お申し込み先]

MEDIA SHOP tel: 075-255-0783  mail: mediashop@media-shop.co.jp 

 

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MEDIA SHOP 対談シリーズ : 〈民藝〉のレッスン

VOL. 1 「名前のない道」をたどる対話

 

赤木明登 × 鞍田崇

 

 

[ 日 時 ] 2012年4月5日(木) 19:00-21:00

[ 場 所 ] MEDIA SHOP (京都・河原町三条)

[ 料 金 ] 1,000円  *定員60名・要予約



たしかに、このところ民藝ブームです。ですが、このブームの内実というか広がりは、必ずしも民藝への共感だけに尽きるものではありません。民藝と同じように、暮らしに寄り添う手仕事の器を選びながら、この言葉を拒否する場合があります。でも、いったい人々は民藝の何にひかれ、何を拒否しているのでしょうか。



『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』を取りまとめるにあたり、念頭においていたのは、そんなアンビヴァレントな状況でした。単調な礼賛でも批判でもなく、その両方が正しくて、実はまちがっているという、民藝をめぐるチョット混乱した現状を、冷静に考えたかったのです。そのことが、きっと、これからの暮らしのありようを考えるうえで、とても意味のあることだと思えたから。



その思いは同書を刊行した後も変わりません。とりわけ、今月はじめに出版記念企画として行われた、graf服部滋樹君とのフリートーク以後、もっと語りたい、もっと考えたいという思いが、ますます高まってきました。そこで、もう少しこの話題をみなさんと共有する「場」を設けてみようと考え、先のトークの会場でもあった MEDIA SHOP さんで、全6回のレクチャーシリーズを企画することになりました。



初回のゲストは、塗師の赤木明登さん。赤木さんは、華美な装飾にはしらず、静かな趣きをたたえた輪島塗の技法を用いて、現代ならではのシンプルな器を手がけてこられたことで知られます。器だけでなく暮らしぶりも、たびたびメディアで取り上げられ、手仕事の世界の魅力が、冒頭に述べたようにあらためて見直されるきっかけをなした立役者の一人でもあります。



「名前のない道」――赤木さんは、自身がたどってきた物づくりの道程をそう呼んでいます。この道を選んだ赤木さんにとって、大切なのは、名づけようのない、もっとも言葉から遠い世界だったのかもしれません。シリーズ初回は、そんな名まえのない道のりを二人でいっしょにたどりながら、 これからの暮らしの可能性を探る、ささやかな試みといえばいいでしょうか。ひとりでも多くの方にご参加いただけたら、うれしいです。


 

[ profil ]

赤木明登 AKAGI Akito

1962年生まれ。塗師。中央大学文学部哲学科卒業後、編集者を経て輪島へ移住、輪島下地職・岡本進に弟子入りする。5年の修行期間を経て1994年に独立、和紙を使った独自の漆器「輪島紙衣」を作りはじめる。ピナコテーク・デア・モデルネ(ドイツ・バイエルン州立応用芸術美術館)への作品収蔵等、内外で高く評価されている。著書に『漆 塗師物語』(文藝春秋)、『美しいこと』(新潮社)など。雑誌『住む。』(泰文館)にて「名前のない道」を連載中。4月4日~15日まで、Utsuwa kyoto yamahon (京都市下京区)にて「赤木明登 漆器展」開催。

 

 

【予告】

vol.2 「無銘を纏う」  高橋理子 (アーティスト)  5月10日(木)

vol.3 「交感のメソッド」  坂本公成 (振付家)  6月7日(木)

vol.4 「personal products」  猿山修 (デザイナー)  7月5日(木)

vol.5 「住まいを紡ぐ」  大西麻貴 (建築家)  8月9日(木)

vol.6 「野菜のフォークロア」  江頭宏昌 (農学者)  9月6日(木)



[お問い合わせ・お申し込み先]

MEDIA SHOP tel: 075-255-0783  mail: mediashop@media-shop.co.jp




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『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』 出版記念トーク

 

服部滋樹 × 鞍田崇 

 

「民藝」という言葉のもとに僕らが考えたこと

 

 

[日 時] 2012年3月1日(木)19時~21時

[場 所] MEDIA SHOP (京都市中京区河原町三条下ル一筋目東入ル大黒町44 VOXビル1F)

[入場料] 500円 (『〈民藝〉のレッスン』ご購入の方は無料)





ここ数年、民藝がふたたび人気だ。ビジュアルにわかりやすいガイドブックも多数出版されている。


そんななか、このたび刊行された『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』(フィルムアート社)は、いわゆる解説本とは趣きが異なる。歴史的な記述もあるが、過去の「民藝」を手がかりにしつつ、そこから何を得るのか、得るべきなのかが、ファッション、デザイン、建築、料理、人類学、哲学といった様々な視点から論じられている。


「なぜいま〈民藝〉なんだろう?」という問いかけが、本書をつらぬく基本テーマ。それに対して、僕はさしあたりこう答えてみた。――「与えられたレールの上をスマートに生きることよりも、ぎこちなくも一つ一つの人や物との出会いを自分たちの感性で創造していくこと。それを力強く肯定してくれるのが民藝です。」


僕たちはこの時代をどう生きぬいていくのか、はたしてほんとうに民藝にそのためのヒントがひそんでいるのか、そうだとしたらそれはどういうものなのか――。


本書をきっかけにそんな議論がひろがっていくことを期待して、執筆者のひとり、 服部滋樹君と出版記念トークをすることになりました。本書で語りつくせなかったポイントを、同い年の二人が縦横に語りあいます。





[profile]

服部滋樹 SHIGEKI HATTORI

1970年大阪府生まれ。graf 代表。デザイナー、クリエイティブディレクター。京都造形芸術大学情報デザイン学科教授。

1998年、大阪・南堀江にショールーム「graf」をオープン。家具、グラフィック、プロダクト、デザイン、アートから食まで既存の枠組みにとらわれない自由なデザイン展開で活動中。



鞍田崇 TAKASHI KURATA

1970年兵庫県生まれ。哲学者、総合地球環境学研究所特任准教授。

暮らしの“かたち”という視点から、現代社会における環境問題の思想的意味を検討している。最新作として、2012年1月末に『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』(編著)を刊行。



【予告】

MEDIA SHOP レクチャーシリーズ 「〈民藝〉のレッスン」(全5回予定)

『〈民藝〉のレッスン』の編者・鞍田崇が関連ゲストとともに、いまこの時代だからこそ確かめるべき民藝の可能性を掘り下げていきます。

第1回: 2012年4月5日(木) ゲスト/赤木明登(塗師)



[お問い合わせ]

MEDIA SHOP tel: 075-255-0783




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年明け早々中国を訪ね、「廃墟」を見てきた。


中国といっても西北の端、新疆ウイグル自治区。多くの民族が興亡を繰り返した同自治区には、打ち捨てられた街が廃墟となって散在している。大半は数百年の時の中で風化し、人工的な構造物なのか自然の造形なのか、もはや判然としないものすらある。マイナス20度の極寒のせいだろうか、あるいは中央ユーラシアの荒涼とした景色のせいだろうか、廃墟は一切の記憶を拒絶し、冷然とした姿で僕の目の前に広がっていた。

 

 

帰国後すぐに、現代美術作家のヤノベケンジさんと会った。実はヤノベさんの活動にもつねに「廃墟」という言葉がつきまとう。

 

黄色い放射能感知服を身にまとった腹話術人形「トらやん」はじめ、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品で知られるヤノベさんだが、創作の原点は、幼少期に遊び場としてすごした大阪万博跡地の「廃墟」にある。

 

高度経済成長のクライマックス、大阪万博。託されたのは、より豊かになろうとする人々の夢と希望だった。けれども、その実現を保証すると考えられた原子力エネルギーに、ヤノベさんは疑問を抱き続けてきた。その脆弱さが露呈した3.11以後は、いちはやくアーティストとしてアクションを起こし注目された。

 

万博そのものの思い出はほとんどない。むしろ、少年時、あの最高の夢と希望の未来都市が取り壊された空き地に見出した「未来の廃墟」が、ヤノベさんの脳裏にはいつも横たわっていた。

 


今年の3月11日、出身地である大阪府茨木市の駅前に、彼の最新作「サン・チャイルド」が恒久設置される。「暗雲垂れ込めるこの空に光差し込む入り口を開く」こと、それが制作のねらいだという。


ヤノベさんにとっての廃墟の答えがそこにあるような気がする。廃墟は厳しい現実だ。でも、終わりじゃない。新しい時代を切り開くクリエイティビティを促すゼロ点。サン・チャイルドは、次の時代を担う子供たちのために、そんな役割を果たそうとしている。


このたび、311のサン・チャイルド設置に先立ち、プレ企画としてヤノベケンジさんによる講演会「サン・チャイルドができるまで」が開催され、僕も“聞き手”として参加することになりました。現代の僕たちが共有すべき「廃墟」とは何なのか、そこからどういった希望をつむいでいくことができるのか、ヤノベさんのお話を手がかりに皆さんと考えていきたいと思います。ひとりでも多くの方々に聞きにきていただけたらうれしいです。

 

 

 

[ 日 時 ] 2012.2.17 (fri) 19:00-21:00 (開場18:30

[ 場 所 ] 茨木市福祉文化会館(オークシアター) 5F文化ホール

      *大阪府茨木市駅前4丁目7-55 TEL:072-623-3962

 

[ アクセス ] 阪急京都線「茨木市駅」/JR「茨木駅」いずれも徒歩10

Map : http://www.city.ibaraki.osaka.jp/shisetsu/kyoikubunka/1317033278043.html

 

 

[ 参加費 ] 無料

[ 定 員 ] 347 (要予約)

[ お申込み方法 ] 下記公式HP申し込み専用フォームより

       http://www.art-ibaraki.com/217-lecture01/ 

 

[ ヤノベケンジ ] 現代美術作家、京都造形芸術大学教授

1965年大阪生まれ。6歳から茨木市で過ごす。春日丘高校卒。京都市立芸術大学大学院修了。

現代社会を生き抜くためのさまざまな実機能をもつ大型機械彫刻を数多く制作。

1997年自作の放射能防護服を着て原発事故後のチェルノブイリを訪問する「アトムスーツ・プロジェクト」を開始。98年帰国後も、幼少期に遊び場として過ごした大阪万博跡地を中心に同プロジェクトを展開させ、2003年には「太陽の塔」黄金の顔の目玉まで登頂していく《太陽の塔、乗っ取り計画》を敢行。水都大阪2009では全長15mのアート船《ラッキー・ドラゴン》を大阪の街並に出現させるなど、近年では腹話術人形《トらやん》や「第五福竜丸」をモチーフに巨大モニュメントを手掛け、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開するなど精力的に発表を続けている。

 

 [ 関連URL ]

ヤノベケンジHP http://www.yanobe.com/  

 

[ お問合せ先 ]

茨木芸術中心  TEL: 070-5041-0383    HP: http://www.art-ibaraki.com/

 

 

 

 

 VADE MECVM

 

 

 

かねてから、日々の暮らしの中での自然との関わり、わけても植物との関わりを見直したいと考えていた。

 

 

キーワードは「感性」。あるいは、より身体的に「感覚」。

 

 

いつしか僕らは、世界との接点であるはずの感覚を働かせなくても、世界と交信できるようになってしまった。いや自分では、以前と変わらず、見たり聞いたり、感覚を働かせているつもり。つねればイタイし、苦いものには顔をしかめる。でも、そんなふうにことさら意識にのぼる感覚ではなく、問題は、むしろあたりまえのままに自覚されない日々の時間。僕らは、いつもの道のいつもの並木をほんとうに見ているといえるだろうか。

 

 

日々の暮らしの中での植物との関わりには、まだまだもっとワクワクできる可能性があるはず。そんな可能性を一つひとつ形にしていこうと、この春から、ヨメと二人で、Atelier Michaux という植物の実験工房を立ち上げた。Michaux はミショー。二人が好きなアンリ・ミショーの名前を借りるとともに、種から生まれる「実生(みしょう)」をかけている。新しい可能性が、ここから一つでも芽生えていくよう願って。

 

 

Atelier Michaux の本格始動は、この春、大阪・京町堀のギャラリーカフェ、VADE MECVM. (ヴェーデ・ミーカン)で行ったワークショップだった。バラ園のある靫公園のすぐそばということにちなんで、バラとその香りに注目した企画は、花人の片桐功敦さんはじめ、多くの友人の協力を得て、好評のうちに終わった。

 

 

それを受け、やはりバラの季節であるということで、この10月から同じく VADE MECVM. で第2弾のワークショップシリーズが始まった。

 

 

今回は、 <香りのワークショップ> + <他の感覚のワークショップ>のダブルワークショップ 形式で、香りを中心にしつつ、より広く身体能力を呼びおこす練習をアレンジ。誰もが元々もっている感覚を、いつもとは違う方法で働かせて、少しずつできることを増やし、少しずつ知恵を蓄え、そうして少しづつ暮らしを豊かにするのがねらいだ。初回(10月9日)は「“香り”を食べるということ」と題し、料理研究家の堀田裕介さんをゲストに迎え、バラを使った料理を堪能した。

 

 

この講座の魅力は、何よりも、靫公園に面した VADE MECVM. の開放的な空間。爽やかな朝の光の中で、色づきはじめた秋の気配を、 みなさんといっしょに新しい感覚とともに感じとることができればと思っています。

 

 

 

 

VADE MECVM. × Atelier Michaux ワークショップ

「大人の学び」 アンフルラージュから広がる世界  

 

 

 

[ 日 時 ] 2011.10.15 (sat)・23 (sun) 10.00 – 12.30

[ 場 所 ] VADE MECVM. Showroom #2 Gallery Shop + Cafe

      (大阪市西区京町堀1-13-21 高木ビル1F奥)

      *地下鉄四ツ橋線「肥後橋駅」「本町駅」徒歩7分  

 

 

 

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[ 参加費 ] 6,500円  ※バラのポマード、アンフルラージュ・キット ‘ SHALE ’+1ドリンク付

[ 定 員 ] 16名 / 各回 (予約制・先着順)

 

 

[ 講座内容 ] <アンフルラージュ体験と香りのお話> & <ゲストによるワークショップ>

  

 

■ アンフルラージュ体験と香りのお話

講師 :鞍田愛希子(Atelier Michaux 主宰)

 

アンフルラージュ(enfleurage)
かつて南フランスで行われていた、エッセンシャルオイル(精油)の抽出方法。Atelier Michaux では伝統的な製法をアレンジし、本物の花の香りを手軽に集められる方法として紹介。花本来の複雑でやさしい香りをシアバターにそのまま移すアンフルラージュで作ったポマード(練り香水)は、自然本来の香りを知ることができるとともに、旬を逃がさず香りを集め育てていく楽しみがある。今回は、バラに加え、原種のフジバカマも用います。

 

 

■ ゲスト・ワークショップ 

○ 10月15日(土)

家庭でできる植物ファクトリー

ゲスト : 林 孝洋 (農学博士・近畿大学農学部教授)

 

植物は好きだけど、せっかくもらってもすぐ枯らしてしまう。そういう声をよく聞きます。でも、じつはその植物、まだ枯れてないかもしれません。ほんの少し植物の「思い」に目を向けるだけで、もっと身近に植物を楽しむことができるようになるハズ。手軽な栽培キットを使って種まき・挿し木・水やりを行い、あたりまえのようで見逃されがちだった、植物の育て方のエッセンスを学びます。栽培の基本も応用も、疑問をすべて解消! 

 

 

○ 10月23日(日)

“触れる”を知る

ゲスト : 尹 煕倉 (ユン ヒチャン:美術家・多摩美術大学准教授)

 

最も原初的な感覚=触覚。指先には、これまで気がつかなかった世界が広がっています。花の色や形など、もっぱら視覚情報にかたよりがちな植物の印象も、「触れる」ことでまるで違ったものになるかもしれません。今回の講座のために特別に制作いただいた陶片ピースを用いて、「触れること」「感じること」について考えてみます。 *尹煕倉さんについてはこちらのblogでもご紹介しました:「エピローグ―そこに在るもの」。

 

 

 

[ ご予約・お問合せ ]

アトリエ・ミショー(クラタ・アキコ)

E-mail : am@atelier-michaux.com 

FAX : 075-708-2069

※ご予約の際は、ご希望の講座日、参加者全員のお名前、ご連絡先をお知らせください。

 

 

 

[ kyomachibori 2011 ]

 

 

 

 

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東日本大震災から7か月。遅ればせながら、京都新聞「大震災から半年」の記事。

  

 

 

 

 「ネット社会の忘れやすさ懸念」

 

 

 震災直後、その被害の大きさが全国の人々にもたらした動揺は、まるで水面に波紋が広がるように「単調で揺れ幅の大きな」ものだったと思う。

 

 

 阪神淡路大震災はインターネットが普及する前で、被災地の映像や話がじわじわと伝わったが、今回はネットに個人の安否や支援情報、放射能への不安などの書き込みが次々に更新されていった。情報が一気に広まり、考える間を与えられないかのように、皆が一様に悲しんだり怒ったりした。そのぶん被災地への関心も急速に失われ、忘れられつつあるように感じる。

 

 

 私は学生時代に阪神淡路大震災を体験した。慣れ親しんだ神戸の街の被害に動揺しながらも、避難所などを回り、被災者に寄り添って悲しみや悩みを聞く「傾聴ボランティア」に取り組んだ。被災者の中には、すぐには心の内を吐き出せない人もいる。今回も震災から半年がたち、避難所から仮設住宅に移るなどしてようやく語れる被災者がいるはず。被災当初とは違った思いを語る人もいるだろう。

 

 

 被災体験を教訓とし、将来に渡って共有していくためには、人々の体験を地道に記録する取り組みが欠かせない。ところが、ある京都の大学生から聞いたのだが、被災地での支援活動を母校で報告した際、会場から「ネットやニュースで知っていることばかり」という感想が出たという。ネットやマスコミの情報に日々触れるうちに、分かった気になって「東日本大震災はこのようなものだ」と、被災地外の人が勝手に納得してはいないか。

 

 

 5月に、研究の一環で宮城県気仙沼市を訪れた。津波で建物が流され、打ち上げられた船が横たわる一角に、無事に営業するコンビニがあった。被災前と変わらぬ品ぞろえで、店内と周囲との意外なギャップに戸惑った。被災地で目にする出来事やにおいなど、現場でしか得られない情報は多かった。

 

 

 ネット社会は情報を即座に広めると同時に、人々を忘れやすくする。だからこそ私たちは意識して関心を持ち続けることが必要だ。被災地を直接支援できなくても、防災の知恵や工夫を自分の身の回りに生かすことも、貴重な「被災体験の継承」になる。

 

 

 今回の被災地には浪分神社(仙台市)のように、過去の津波被害を伝えるために名付けられたとみられる神社がいくつもあった。祭りや初詣で日常的に住民が集う神社を、災害のランドマークにしようとした先人の知恵が感じられた。教訓をより確かに継承する「仕掛け」づくりも、今後の復興の中で重要になると考える。

 

 

(京都新聞、2011年9月9日朝刊13面)

 

 

 

 

この記事をまとめてくれたのは、文化報道部記者の芦田恭彦さん。東北大学出身の彼にとって、このたびの震災はひとごとではなかった。日ごろから親しくしていたこともあり、この件では折に触れ意見を交わしてきた。上の記事でも、直接どこがというわけではないけれども、そんな彼ならではのまとめ方をしてくれたと思っている。

 

 

そういえば、4月のはじめ、京都新聞本社近くの居酒屋で二人で飲みながら、いま僕らにできることを議論した。被災地を遠く離れたこの場所で、いま僕らにできることだ。そのときに話したことを、僕はその晩こうつぶやいた。

 

 

「いまだからあえてひとつ提案したい。ひと月前に暗い夜を過ごした人々への思いがいまもなお変わらぬことを示すために、4月11日にはすべての電気を消してはどうか。たとえば夕食時の午後7時。1分でいい。すべての灯りを消そう。暗さが灯す明かりがあることを皆で共有するんだ。」

2011.04.07

 

 

いまだからあえて、の思いはいまも変わらない。

 

 

 

 

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第26回国民文化祭・京都2011「京の暮らしの文化展」関連企画

明倫茶会・番外編 「民芸へのオマージュ」 

 

  

[ 日 時 ]  
2011.11.5 (sat)   ①11:00 ②13:00 ③14:00 ④15:00
       11.6 (sun)  ①11:00 ②13:00 ③14:00
[ 場 所 ]   京都芸術センター(旧明倫小学校)

 

[ 参加費 ]   1,000円(薄茶+菓子付き)
[ 定  員 ]   20名 / 各回 (予約制・先着順)

  

[ 予約方法 ]
1 ) Web
 下記URLからご希望の時間をクリックしていただくと、 専用申し込みページに移動します。
 *申し込みURL:http://www.kac.or.jp/bi/82 1
2 ) TEL・FAX・E-mail:下記のお問合せ先までお 願いします。
3 ) 窓口:京都芸術センターの窓口でも受け付けています。
 
 
 
 [ 席 主 ] 鞍田崇 (哲学者/総合地球環境学研究所 特任准教授)
 
 
 
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[ 趣旨にかえて ]
 

 「茶会の亭主をしてくれませんか」と頼まれた。

 

 場所は、京都の中心部にある旧・明倫小学校。統廃合に より閉校になり、いまは、往時の建物そのままに、京都芸術センターとして市民に親しまれている。依頼されたのは 、そこで定期的に行われている「明倫茶会」という企画だ

 

 小学校なのに茶室があるという、京都ならではのユニークなシチュエーション。芸術センターという場所柄、亭主は茶道と関わりのない人がつとめることも多く、作法にとらわれず、抹茶にこだわる必要もない。コーヒーや紅茶の会もあったし、暑い盛りにかき氷でもてなす趣向もあった。もっぱら杯を酌み交わすだけのものもあったという。

 

 「そういう気楽な会ですし、ぜひ」ということで、引き受けることにした。

 

     *

 

 引き受けたものの、どういう会にしようか、ここ数カ月(依頼があったのは6月のハナシ)、じつは相当悩んできた。というか、まだ悩んでいる。

 

 いちおうお茶のたしなみはあるし、フツーの茶会に必要なものもわかっている。けれども、フツーのお茶をしても面白くない。僕は僕で、趣向をこらしてみたい。なまじお茶をかじっているだけに、そんな色気が出てくる。悶々とするうちに、いよいよひと月後までその日が迫ってきた。

 

    *

 

 「茶は常のことなり」という言葉がある。お茶の世界では、不断の稽古の大切さを説くものとされている。でも、文字どおり取ると、茶=「常のこと」、つまり「日常」に関わることを端的に示した言葉だ。

 

 茶の湯は日々の雑事を離れ、日常から隔絶された非日常を旨とするけれども、それは日常を忘失することじゃない。むしろ、非日常な茶のひと時を通じて、日々の暮らし、あたりまえの日常を問いなおす――「茶は常のことなり」の文句を、そう受け取ることもできるだろう。

 

 よし、テーマは「日常」。これでいく。じゃあ、どういう設えにするか。

 

 手がかりを民芸に求めてみよう。今年は柳宗悦(1889-1961)の没後50年でもあるし、なんといっても彼の唱えた民芸の眼目は、茶のまなざしを受け継ぎつつ、アクチュアルな「いま」の暮らしをいかにより豊かにするかにあったはず。茶にひそんでいた日常性を引き出したのが民芸だと僕は考えている。

 

 「民芸へのオマージュ」――民芸を手がかりに、日々の暮らしのありようにしばし思いをはせるお茶会。ご都合つく方はぜひ。

 

            ―――『ソトコト』2011年11月号より(一部加筆)

 

 

 

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[ 関連企画 ]
○ シンポジウム「京の暮らしの知恵と美」
 日時:10月29日(土)15:00-17:00
 場所:京都芸術センター/フリースペース

 

 基調講演:村井康彦 (歴史学者/公益財団法人京都市芸術文化協会 理事長)
 パネリスト:井上由季子 (グラフィック工芸家/モーネ工房 主宰)
        近藤高弘 (陶芸・美術家)
        鞍田崇 (哲学者/総合地球環境学研究所 特任准教授)
 司 会:富永茂樹 (社会学者/京都芸術センター 館長)

 

 定員:100名 / 無料・事前申込不要

 

 

○ 「COLORS OF SEASONS  大舩真言/高橋治季展」

  春の雨、夏の風、秋の空、冬の空気。
  日々の暮らしの中でふとした時に感じる季節の豊かさをテーマに、
  大舩真言高橋治季による新作インスタレーションを展示。

 

 会期:10月29日(土)~11月6日(日) 10:00-20:00 *最終日のみ18:00まで
 会場:京都芸術センター/ギャラリー北・南
 *会期中無休・入場無料

 

 ギャラリートーク:10月29日(土) 17:00-18:30/ミーティングルーム2にて
 

 

[ お問合せ先 ]
京都芸術センター(担当:ヤマモト・マユミ、カツヤ・マミ)
E-mail : info@kac.or.jp
TEL : 075-213-1000 FAX : 075-213-1004

 

 

[ kawarayamachi 2011 ]

 

 

 

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[ kamaishi 2011 ]

 

 

 

screen

 

 

 

スタンダードに September in the Rain ってあったよな。

 

 

[ suita 2010 ]

 

 

 

sunana

 

 

 

出会いの記憶が残っているというのは幸せなことかもしれない。

 

 

はじめて中村真一郎という小説家の存在を知ったのは、ある対談記事がきっかけだった。その記事が収められた小冊子を、久しぶりに手に取った。先だって、彼のことにもふれた、大阪のVADE MECVM.でおこなったトークがテープ起こしされ、それを機に、当の文章を読み返してみようと思って。

 

 

あらためてその言葉を追うと、はじめて読んだ当時のことがまざまざと蘇ってき、それをこのまま書庫の埃のなかに戻すのがもったいなくなってきた。少し長くなるが、個人的な備忘録として、ここに書き写しておくことにする。

  

 

* * * 

 

中村  中学のとき、 僕の父親は実業家だったのだけれども、 「今の文士は無学だ。 無学な文学は残らないよ」 と、 よくいっていました。 それに、 「ラテン文と漢文は 毎日 やらなければいかん」 ともいっていた。 その 「毎日」 が今も非常に強い印象として残っています。 さらに、 十七歳ごろ、 リルケの 『 若き詩人への手紙 』 を読んだのですが、 その中で、 リルケは (ロダンのところで学んだのですが)、 やはり 毎日 書かねばならないといっています。 そして、 もう一人、 トーマス・マンも 「自分の中にはビュルガー (市民) と芸術家と両方あるが、 ビュルガーの方が、 毎日サラリーマンが働くように働くのだ」 といい、 だから自分は 『 ブッデンブローク家 』 を完成することが出来たといっています。 それら先人たちの 「毎日」 が、 父の記憶と結びついて、 非常に僕には教訓になっており、 毎日書くと同時に随分、 漢文も読んでいます。

 

 埴谷  君がそういう両面の文学を持ち、 各々を完成しようとすること、 それは大変に幸せなことで、 僕は、 よくそこまで生きてくれたな、 と思う。 もし途中で君が死んでしまったら、 結局、 戦後派はみなだめだ、 中村もだめだったということになる……。

 

 中村  文学の仕事というのは、 何かわからないものをつかもうとしているから、 目に見えなくて頼りないわけですね。 何に頼るかと考えたとき、 毎日働いているという確実なこと ―― つまり、 今日は五枚書いた、 十枚書いたぞということに頼ることが出来る。 だから作家は、 そういう自分の職業に対する自信を持たせる何か確実なものがないと、 いつへなへなになるかわからない。 それで僕は十五、 六歳からノートをとり始め、 原稿も十七、 八歳から、 毎日朝から書くことを習慣づけた。 十七歳のときだったか、 芹沢光治良さんが当時流行作家だったので、 お訪ねして、 「小説家になれましょうか?」 とおききしたら、 「毎日三枚書ける人はなれます。 だけども毎日書かなければなりません」 とおっしゃった。 あの人は病身だったでしょう。 なのに長編を次々とこなしていたのは、 そういう自分のペースをつかんでいたのですね。 それから、 片山敏彦さんも戦争中に、 僕が文学者になるといったら、 デュアメルのことばを教えてくれた。 「作家になろうと思ったら、 五十歳まで毎日書け。 それまで我慢して書き続ければ、 五十歳になったとき作家になっている」 といったそうです。 つまり、 評判とか世評とか、 流行 (はやり) すたりというものは当てにならないけれども、 作家にとって毎日書いているということが保証となるということ。 それに、 僕は非常に臆病ですから、 なんとか保証を得たいと思って、 「毎日書く」 ことに専念した。

 

――対談 和漢洋に通じた文学/埴谷雄高・中村真一郎 (『波』1992/2月号/新潮社)

 

* * * 

 

 

「毎日」、これがすべての原点なのです。

 

 

[ yoshida 2011 ]

*glass : tomonori egawano,  ku 2007

 

 

 

sekisuikan

 

 

 

出目金のくろちゃんが死んだ。庭のバラの根元に埋めた。

 

 

[ toro 2011 ]

 

 

 

odoriba

 

 

 

留まるものなんていない。

 

 

[ demachi 2011 ]

 

 

 

nami'ita

 

 

 

蝉は鳴いているか。

 

 

[ otsuchi 2011 ]

 

 

 

kusakabe

 

 

 

草色系 02

 

 

[ kochi 2011 ]

 

 

 

kamaishi_sen

 

 

 

一年ほど前に引越した際、だいぶ本を処分した。なかでも哲学書は、手伝ってくれた古書店が特に力を入れている分野でもあったので、八割方持って帰ってもらった。

 

 

論文を書くとなると、先行研究をレビューし、典拠を示す必要がある。研究書とか、原典全集のたぐいとか、哲学関係の蔵書はたいていそのために買い込んだもので、そういうものはほとんどすべて処分した。すでにもう何年も開いていないものが多かったし、未練はなかった。哲学の、というより研究のための言葉の集積に、ウンザリしていたというのが正直な理由だった。

 

 

コンパクトになった書庫のなかで、この夏、残された哲学書を久しぶりに手にとった。書き込みがあったり、日に焼けていたり、どれも古びて売り物にならなかったものばかりだ。

 

 

   私は知らない 乏しき時代に何のための詩人か

 

 

本から本へ導かれるままにして辿りついたのは、ドイツの詩人、ヘルダーリンの一節だった。なんだか、この言葉を待っていた気がする。

 

 

[ kamaishi 2011 ]