29日から始まった「金沢燈涼会」のためにお茶会を開きました。提供された場所は市内随一の花街主計町検番、芸者さんが毎日お稽古などをする場所です。
2ヶ月くらい前、その場所を聞いて、前から思っていた茶会を開こうと考えました。それは「さびない、わびない」茶会です。茶の湯を始めるとほとんどすべての人が「侘び茶」を求めます。それはそれでいいのですが、過程もなくその境地に達する人間がいるでしょうか?戦国時代を経て、安土桃山時代に完成した茶の湯に秘めた茶人や武将たちはもっとギラギラして生きることにこだわったからこそ、その境地を目指したのではないでしょうか?「生」に執着して、初めて私たちはそれを克服することができるのではないか、そう思ったのです。特にここは花街の真っただ中、「恋」という名の「命」が無数に飛び交った所。その執着の清々しさを形にすることにしました。
そして、そのコンセプトにいくつかの物語をかけました。一つは世阿弥の「時分の花」。4日間の展示の間、満開から次第に朽ちていく花、寂しげではありますが、それが命というものであり、最後まで燃え尽きようとする姿は美の後ろにある生命を感じさせてくれるはずです。
さらに前田利家の娘で豊臣秀吉の養女となった「豪姫」の物語もかけました。関ヶ原の戦いに敗れ八丈島に流刑に処された夫宇喜多秀家を想い続け、再び会うことなく金沢で亡くなった豪姫と南の島で貧困の中50年近くを過ごし、豪姫との思い出の中に生きた秀家。今は八丈島で墓を連ねともに過ごす二人の物語は悲恋という弱々しいものではなく生命をかける情熱の証です。二人の姿を若き頃の恋をしのぶ「黄色い花の茶室」、南方を想い胸を焦がす「赤い花の懐石席」に例えました。
また豪姫もそうであったと言われますが、金沢は私が生まれ育った長崎と同じくキリシタンたちの町でもありました。千利休の高弟であった高山右近は迫害を逃れ、ここで前田家にかくまわれていました。豪姫とも茶を楽しんだに違いありません。そして、彼は前田利家の子、利長に請われ高岡城を築くのです。その二年後。今秋第3回の金屋町楽市を開催する銅器職人の町、金屋町が生まれました。その右近も徳川幕府によってルソンに追放され、マニラで没することになりました。その葬儀にはマニラ市民全員が参列したそうです。すべてを信仰に捧げた右近の生涯は海外でもよく知られていました。「赤い花の懐石席」はその彼らの思いをかけて南国の植物で埋めました。それをアルミブロックでかたどった長谷川等伯の槇楓に飾り、メキシコの陶芸家マウリシオさんの鳥の花器を配しました。道具の一つ一つに物語を振り分けてあります。
懐石の席には彼の作品にローストビーフを盛りつけ、赤いピノノワールを供しました。赤ワインはキリストの血です。宮城道雄の「浜木綿」の筝曲が演奏される中、咲き誇る花の中に生の命を感じていただけたら、先人たちへの幾ばくかのオマージュとなったことでしょう。
この茶会を姿にしていただいた藪内流の工藤先生社中に心から感謝します。

赤い花の懐石席1

赤い花の懐石席2

黄色い花の茶席1

黄色い花の茶席2

マウリシオの鳥たち

生命の懐石

侘びない亭主席
梅雨も明けて、「夏だ!」と喜んでいたら、新湊から能登島に向かったヨットの上で不可抗力の事故に遭い、右手人差し指を骨折してしまいました。
絶え間なく流れる血、切り裂かれた爪、中からのぞく骨。次第に気を失いかけているのに近くの港まで1時間半。指を一本失うのは覚悟していました。しかし、そんな時にも「ゴルフはできるのかな?」なんて考えている自分に腹が立ってしまいました。「そんな場合じゃない!」、と。でも、人間は愚かです。特に僕は。。。
七尾の港についても事態は深刻でした。あいにく週末で二つある病院のうち一つはおやすみ、もうひとつも医者が一人しかいない、とのこと。もはや絶望状態でした。
しかし、それからです。運命が劇的に変わるのは。何とその一人が形成外科の先生で、しかも千葉大学の医局から派遣されている偉い先生でした。
「伊東さん、これはひどいね。まぁ、完全にもとには戻れないねぇ。でも大丈夫(?)。指は動くようになるから((^.^))。看護婦さん、オペの用意ね((+_+))。大丈夫((^.^))すぐ終わるから。ワイヤーを貫通させて骨をつなぐだけだから(!)」
「どこにですか?」
「?もちろん骨の中ですよ。」
「先生、そんなことしたら僕痛さで死にます!」「そんなことないよ。麻酔のほうが痛いから。」「!」
手術完了までの3時間。まぁ、いろんなことを考えました。また、怪我をさせた人を恨んだり、許したり。聖人と俗人の間はそんなに遠くありませんでした。その間、ずっと親友の本木克英は僕の手を握ってくれていました。「こんな時は男じゃないだろう、MOTOKI!」とは思いましたが。。。(^v^)
「はい!終わり!もう大丈夫。入院する?まぁ、ここで入院しても退屈だもんね。全治3カ月だし。紹介状書いとくから。」その手際の良さと言ったらスーパーマン。地獄で仏に会うとはまさにこのこと。私の指は一命を取り留めました。
麻酔でふらふらしている僕を陸路二時間かけて迎えに来てくれた親友の真柄君が金沢まで送り届けてくれました。ありがたいことです。
車内で痛みに耐え、落ち込んでいる僕を見て、やさしい真柄君はこう励ましてくれました。
「伊東さん、今晩は東の茶屋でも行きますか?」
「こんな時に何言ってんだ!MAGARA!」と思いつつ気が遠くなっていく僕の耳に三味線の音がこだましていました。

空はどこまでも青く。。。

船は進んでいました。。。

早く治りますように。。。
W杯も終わって、一抹の寂しさもありますが、次なるプロジェクトに向かって進めなければならないことが山盛りです。スペインのことについてもまだまだ語りたい体験が山ほどありますが、そのうちじっくり書かせてもらいます。
さて、昨日、海の日は今年度の長崎・富山水辺の映像祭募集記念イベントを行いました。題して、「水辺の映像祭海の家」。なんと、富山市中央、グランドプラザに「海の家」を作ってしまいました。自分たち楽しみも兼ねて、といえばそれまでですが、本年度の告知イメージを作ってもらったアニメーション作家の岩井澤健治さんによる昨年度受賞作品「嘆きのアイスキャンディー」の世界に学生たちが感銘してアイスキャンディーの世界を再現しました。
岩井澤さんに来ていただいて、作品上映のみならず、学生やボランティアたちとのトーク、アニメ制作の実際についての講演、そして、夏なのでうちわに描かれたアイスキャンディーのドローイングに子供たち(大人も(^-^))が色を塗って完成する「うちわアニメーション」の公開制作等々、たくさんの市民が参加して大いに盛り上がりました。通りすがりの方々からスイカや缶ビールの差し入れがあったのはびっくりでしたが、おいしく頂きました。thank you!
フレッシュな才能と仕事することは本当に気持ちのいいことです。いろいろな経験をしながら、まだ29歳の岩井澤さんには本当に期待しています。今回は新作「山」も公開してくれました。バイト先で知り合った友人が原作とのことですが、なんか、とっても、元気になりました!というわけで、今秋、水辺の映像祭で劇場公開することにしました。
また今後、300枚ほど完成したうちわを編集して映像祭のTVCMを製作します。どんなものになるか楽しみです。なにはともあれ、今年度テーマ「ドラマ、Drama!-人生はドラマやっちゅうねん」のように11月の本番までにドラマをいっぱい作っていきたいと思っています。

映像祭海の家アートビジョンつき

夏はやっぱりスイカ!

うちわワークショップ

こうなります

うちわ展示祇園風

〆はアイスキャンディー、当然です

みなさん、お疲れ様、楽しかったね。
W杯の今日の決勝戦ほど難しいものはなかった。オランダとスペイン両方ともわが故郷長崎と縁の深い国であり、私の好きなサッカーをする。オランダはドイツよりフェアで表現力のあるサッカーをするし、スペインは南米スタイルに知性を加えたようなサッカーをする。両社とも捨てがたい。
しかし、今日に限っては見ている内にスペインに勝たせたいと思うようになった。オランダの苦し紛れでしつこいファウルにもめげず、自己のスタイルを我慢強く続ける様や、カシージャス、プジョルをはじめとした美しく強い守り、適切なモーメントで送り出されるセスクら交代選手の活躍、特にフェルナンド トーレスのぎりぎりでの投入とその成果はファンにとって涙ものであった。やるじゃないかデルボスケ!!
イニエスタがそのシュートに思いを込めたように、天国にいるダニエル ハルケも親友たちの成し遂げた偉業に感動していることだろう。
そのスペインのサッカーがオランダのクライフによって植えつけられたものである、ということは皮肉なことかもしれないが王室をともにしたこともある、という両国の歴史的な関係を見れば戦うべくして戦ったのに違いない。ルーベンスやベラスケスに描かせたら、どんな名画が生まれたことだろう。一言いえば、不必要なファウルを重ねたオランダは彼らの中に自らの原点を見つめなおしてほしい。けれども、ロッベンとシュナイデルはアフリカの星々のような輝きを最後まで放っていた。それはフォルランやヴィジャ、ギャンなどほんの一握りの者だけが持つ光彩だった。
奇しくも、日本は参院選投票日。目先のことで一喜一憂する者たち。それを見ていると生死の境にあっても自分流を守るということがどれほど難しく素晴らしいか、ということを改めて感じてしまった。たかがサッカーされどサッカー。教わることは多い。

おめでとう!(^^)!

すごかった!
ワールドカップ期間中は仕事をしない、というのがフランスに住んでいた時の習慣だった。というのも、周りが仕事をしないからである。それほど、ヨーロッパにおけるサッカーは生活の一部であるとさえ言える。それなのに、馬鹿な代表チームの内輪げんかで4年に一回の大きな楽しみを早々と奪われたフランス人たちの悲しみは察して余りある。選手も選手だが、監督も監督である。なぜなら、選手を選ぶ権限は監督にあるのだから、まとめあげられるチームを作る、それに徹さないで過去の実績や名前にとらわれた監督にも大きな責任はある、といえるだろう。
その点でわが日本代表のチームスピリットはすがすがしくさえあった。特に、獅子奮迅の活躍をした本田や松井、長谷部ら海外で活躍しているメンバーが一様にチームワークの良さを強調していたことが心に残った。彼らはおそらく外国のチームでの強烈な自己主張、エゴイスムに飽き飽きしているのだろう。そうならなければ、海外での成功が遠いことは分かっている、しかし、それに徹しきれない日本人の自分がいる。そのジレンマを救う夢を見させてくれたのが今回の日本代表チームだったのだろう。押しのけたはずのサブやサポートのメンバーたちが自分たちを助けてくれる、励ましてくれる、成功を祈ってくれる。そんな環境はヨーロッパにはない。日本人は日本人のサッカーで強くならなければ生きる道がない、と深く感じたことだろう。それがパラグアイ戦後の長谷部の言葉になったと思う。
「Jリーグを応援してください!」
それは見せかけの人の良さから出た言葉ではないはずだ。自らと異なるエゴの深淵を見たものが発する警鐘だったと僕は思う。日本が世界につながる道、それはほかならぬ日本の中にある。長谷部の言葉はそう言っているようだった。
今回の日本代表メンバーの言葉で一番印象的だったのは本田がデンマーク戦後のインタビューで、「もっと嬉しいと思っていたが、なぜか違う。それがわからない。」といったことだった。おそらく彼をそういう気分にさせたのは岡崎に送ったラストパスのことだったのではないだろうか。目の前のゴール。ボールをほしがるチームメイト。ひと月前の彼なら自分でシュートしたことだろう。そのほうが確率は高かったかもしれない。事実、岡崎のシュートはあわてたせいか余裕がなかった。しかし、本田はパスを出した。その時、彼は死んでもヨーロッパ人になれない自分を見たのではないだろうか。しかし、彼らは一人一人でヨーロッパで戦っている。気持ちの切り替えは相当大変な作業になることだろう。
「もう少しこのチームで戦いたかった。」
それは彼らの悲痛な叫びにも聞こえた。
そして、駒野のPKミスが彼らを現実に戻したに違いない。たった一人でピッチに出された日本人が受ける途方もないプレッシャー。勝つためには岡田監督は彼を3番目に選ぶべきではなかった。しかし、そのことは彼自身が駒野の失敗を見て誰より強く感じたことだろう。そして、「海外で通じる日本のサッカー」を作り上げることが大事だということも。だから、駒野の失敗は未来の大きな成功に通じると信じている。
舞台は違えど、1995年のベネチアビエンナーレ。イタリアでの準備中、コミッショナーとして千住博、日比野克彦、隈研吾ら若いメンバーに言い続けたのは、「いつも仲良く一緒にいてくれ」ということだった。日本画やCG、そして韓国人アーチストもメンバーに加えるという選択に国内では非難の嵐だった。「こんなことでは国際美術界」のテーブルにもつけない、とも言われた。しかし、私は思っていた。そんな帝国主義的美術界があるほうがおかしい、と。拒絶しあうエゴではなく、結びあうエゴがアートを作ることもあるはずだ。そして、受賞したのは日本画の千住だった。授賞式の後、全メンバーが祝福に待ち受けていた。
スポーツも芸術も人類をつなぐものだ。しかし、同化して結ばれるのではなく、差異を認め合って結ばれなければ、その理念すら危うくなるだろう。
今回の日本代表チームがこれほど評価される理由はスポーツというメディアで日本人の国際的在り方のヒントを日本民族に見せてくれたからだと思っている。
日本代表の活躍に心から拍手を送りながら、秋にはのんびりとママチャリラリーをやります。北陸の美しい風景の中、競争はせず、仲良く人と交わる。そんなスポーツをやりたいと思います。Twitterも始めました。
http://twitter.com/mamachari_rally
応援よろしくお願いします。

ツール・ド・日本海ママチャリラリーの今年の開催日が9月25日、応募開始日が7月20日に確定しました。募集は先着順120名限定なのでお早くお申し込みください。
今年のルートは金沢から高岡経由富山に向かいます。三市長もそれぞれの街で迎えてくれます。ありがたいことです。
前夜祭としては金沢21世紀美術館で「ナイト・ミュージアム&パーティ」を開催します。なんと秋元館長のギャラリートークつきですよ!感謝、感謝。
日本海沿岸文化圏の再生のために楽しい企画をいっぱい考えたいと思っています。奮ってご参加ください。

「翼の王国」5月号で取り上げていただきました
再び、tabesugiをご一緒した食友のみなさんもご紹介しておきます。
松島さんは「AI」のオーナーシェフで日本代表で見事なプレーを見せた本田圭祐のマネジメントもしています。
感動をありがとう!

松島シェフ

隈ちゃん

吉田さん、前田さん、勅使川原さん、本木さん、白石さん、梅若さん

中村信喬さん、KATOシェフ
先日のアップした食歴には散々なご批判を浴びましたが、おかげさまで体調も回復しつつあります。
というわけで、tabesugiの現場ものせておきましょう。
東京、福岡、富山、金沢を駆け巡って、点滴まで受けるほど食べた現場です(@_@。










日本上空を飛びまわっている間に、この鈍感な私が体調不良になってしまいました。食いすぎ、飲みすぎ、しゃべりすぎが悪かったのだと思いますが、福岡の悪友たちのせいも多分にあると思います。(^.^)
しかし、点滴は受けるわ、抗生物質で具合は悪くなるわ、ちょっと大変ですが、大好きな夏も始まるし、回復を目指して頑張ります!
皆さんもお気をつけて。
そこで、倒れるまで食べていたものを羅列しました。どれかが悪かったのか、僕には良すぎたのか?判断ください。
また、いよいよ先週からママチャリラリーの公式サイトがアップしました。奮ってご応募ください.
http://mamachari-rally.com/
















今日は国際茶道文化協会の理事会に行ってきました。亡くなった伊住宗匠が長く理事長を務めていた財団なので現理事長である千宋室お家元、千容子会長のもと発展していっているのが嬉しい限りです。ともにお茶の新しい形の創造に取り組んでいた頃を思い出して、淋しくもありますが。。。
理事会終了後茶会も開かれました。席主は同じく長く理事をやっている大林剛郎さん。ゼネコン会長という忙しい身ですが、なかなか稽古も進んでいるみたいで、見事なお手前でした。
しかし、お茶を頂いたお茶碗がルーシー・リー作のものだったのは幸運でした。リーらしい形と内側の黄色い釉薬が見事に溶け合って、素晴らしい時間と空間を飲み干したような感覚が下りてきました。
最近はあまりお茶会に出かけませんが、やはりいいものだなぁと一人思ったものでした。

見事なフォルム

内側の黄色がお茶の緑と溶け合います

水差しは黒田泰蔵、お茶入れはバカラでした
今年度の水辺の映像祭メインビジュアルがようやく完成しました。今年は過去の受賞者で「SMAPXSMAP」のタイトルバック製作などで活躍する岩井澤さんに依頼して、相談しながら作りました。昨年の彼の応募作品が頭から離れなかったので満足しています。これからポスターやチラシになっていろんなところに氾濫していくと思います。7月には彼の指導のもと子供たちと一緒に30秒CMを手書きで作るイベントも富山で開催する予定です。 楽しくなりそうです(^’^)

NCMバージョン(D 山崎佳代子)
昨日、高岡市役所で高橋市長とともに今年度の「金屋町楽市」の概要を記者発表しました。3年前に「工芸を生活にかえす」をスローガンに高岡市にある400年続く銅器職人の街金屋町の産業と街並み再生のために企画し、立ち上げたイベントですが、そのために時間と空間上の「ゾーンミュージアム」というコンセプトを考えて、千本格子と町屋の街区全体を二日間だけ美術館にしています。金屋町の職人の精神が脈々と波打つ美しい生活で鑑賞する人間国宝から学生の工芸作品は実に生き生きとしていますし、伝統的な風景に現代的な活力を与える隈研吾の空間構成はまさに異次元の体験を味あわせてくれます。昨年は作品総数2000点、来場者25000人を数え、若い工芸作家を表彰し、世界に紹介する「金屋町楽市賞」も作りました。売り上げの約10%は街並み保存に役立ててもらっています。
今年は「花鳥風月・技」をテーマに美学と技術の高い接点を追及していくとともに、きものストリートや屋台村、寄席、カフェ、瓦版などなど楽しさもさらに極めたいと思っています。金屋町楽市のホームページをぜひ訪れてください。
http://www.kanaya-rakuichi.jp/
今日は、「翼の王国」でも特集された「ツール・ド・日本海・ママチャリ・ラリー」の今年度の概要を決める実行委員会を行いました。今年は9月25日に開催を予定していますが、今回は去年とは逆に金沢から高岡経由富山というルートで行いたいと思います。イベントもチェックポイントのみならず、21世紀美術館や槇文彦設計の富山市民プラザ、セントラムなどと一緒に日本海の魅力を伝える楽しいものを企画したい、と思っています。来週末には新しいホームページを立ち上げます(^.^)中村信喬さんもすでに記念品の構想に着手してくれています。
どちらもご参加のほどよろしくお願いいたします。

金屋町楽市記者会見

ママチャリ会議

金屋町楽市2009

金屋町楽市2009 KUMAカフェ

ママチャリ2009 富山グランドプラザスタート

ママチャリ2009 高岡大仏の前を走行
福岡に来ています。聖福寺というお寺で3カ月に一度福岡の街の活性化のために塾をやっています。「博多ZEN塾」というのは、このお寺が栄西によって日本で初めて開かれた臨済宗名刹だからです。また、仙涯和尚が住職を務めていたことでも有名です。毎回多彩なゲストをお招きしていますが、今回は林原美術館館長で、静岡文化芸術大学学長の熊倉功夫先生に来ていただきました。というのも、栄西がここで茶の湯を中国から日本に伝えたからであり、熊倉先生は茶の湯研究の第一人者だからです。
90年代から2000年代初めまで、僕は裏千家の故伊住宗匠とグラフィックデザイナーの故田中一光氏とともに10年近く茶の湯の改革運動として「茶美会」というイベントを手掛けていたのですが、熊倉先生にはさまざまな形で応援していただきました。尊敬する熊倉先生と久しぶりにお会いし、また、白峰ご老師も参加されるということで、汗が出まくりましたが、熊倉先生の軽妙なお話しぶりに魅了され、幸せな時間を過ごさせていただきました。
先生にお願いしたのは、栄西と博多の豪商で千利休にならぶ安土桃山時代の茶人であった神屋宋湛についてのお話ですが、その理由は博多の茶の湯の歴史と誇りを福岡の人たちに思い出してほしかったからです。博多の豪商たちは実は中国の商人を含めて、現在まで続く日本文化の成立に大変大きな役割を果たしているのです。そして、博多の人たちは江戸時代が終わりを告げるまで町人による自治という形でその伝統を守り抜きました。
講演後、ご老師とともにパネルディスカッションをしていただきましたが、現代における茶の湯や禅の在り方について、とても素晴らしいものになりました。満員以上のお客さんも満足された、と信じています。

中州には博多座の歌舞伎興行を告げる船も出ていました(^'^)

尊敬する熊倉先生

美しい聖福寺

満員以上の来客でした

当日のみの松露と名付けられたお菓子
Art Go Roundの〆で明和電機にパフォーマンスをやってもらいました。久しぶりにフルパフォーマンスを見ましたが、進化していてビックリ!!またどこかでやりたいと思ってしまいました。参加された方々は本当にラッキーだったと思います。おかげさまで、Art Go Roundも大盛況。QRマンスタンプラリーも商品がなくなってしまいました。このイベントで富山市民の間に感情線が環状化されたとしたら幸せなことです。スタッフと関係者の方々本当にありがとうございました。

最高のライブ!

満員のお客さん

進化してます

ノッテマス

満足です(^'^)

アートなまちづくりについて語り合いました

環状線でトーク(^'^)

- インタラクティヴアートシアター

本木克英監督と無菌ガールズ

大手モールの映像上映

明和電機ミニライブ
ようやく前夜祭と初日を終了しました。盛況でホッとしています。
前夜祭は、学生たちのクレイアニメアートの上映と、インタラクティヴアートシアターの開幕、市長を交えてのディスカッション、大手モールの映像コンテンツの上映など盛りだくさんでしたが、途中で赤松さんや河口さんが次々と到着し、会場は大いに盛り上がりました。大手モールも20mx30mの大画面での上映に市民もビックリ!楽しい夜でした。
初日は、特別参加した本木監督、到着した隈研吾を交えて「未来にあるべきコミュニケーションの姿」と称して、まちづくりのディスカッション。話の間で聴衆とともに環状線特別列車に乗って、「セカイカメラ」体験のために市内を一周。その模様をグランドプラザで実況中継して、また、帰ってトーク、という忙しいものでしたが、隈ちゃんは回転焼きを持ち込んで聴衆に配るなど、ピクニック気分でとても楽しいものになりました。話の内容もインターネット時代のまちづくりとアートというサブジェクトにあった有意義なものでした。
そのあとは河口洋一郎の宇宙時代のアートの講義。アートはサバイバルだ!とのたもうた後に、居酒屋で黒むつの内臓と頭を食らって、東京に帰って行きました。富山の皆さんも超刺激的な話に感激(?)されたに違いありません。夕方には明和電機が到着。明日のライブに向けてセッティング。ぶっ飛んだものになりそうです。
夜、大手モールが点灯した後、ライブハウスに明和電機が突撃ミニライブ!CCBのカバーは最高でした。
いよいよ明日まで、芸術環状線は走ります。(本来は芸術感情線なのですが、どこかで間違ったみたいで、残念です)