昨今、国会での消費税増税論議の先行きに伴って夏頃までに総選挙が行われるのではないかとの憶測が飛び交っている。選挙の気配がすると、あるいは選挙の直後になると、もう何十年にもわたって指摘され続ける「一票の格差」が思い出したようにクローズアップされる。

 

しかし本来、

「一人の一票がそれに満たない」という、根本で平等が担保されていない人間の尊厳にかかわる問題が、選挙の前後だけ思い出したように浮き上がってきたり、横たわったまま改善もされず何十年も放置されていたりが常態化していることが、何よりこの国の立法府、そして一人ひとりの民の鈍感さを露呈してしまっていることに、我々は危機感をもつべきではないだろうか。

 

「住む地域によって、選挙で投票してもあなたは一人としてカウントされないんですよ?
『一票の格差』というフレーズは、それこそ何十年もニュースなどで使い古されてきて国民の感覚はまひしている。『一票の住所差別』と言いかえなければならない。人がもって生まれた要素で差別されることを許してはいけないのと同じく、たまたま住んでいる場所で一人の投票として認められない。こんなことを許して良いのか。許す許さないの前に、こうした差別が横行していることにすら気づいていない国民が大多数です。そこに気づけば、ほとんどの国民は立ちあがるはずです。そのために訴訟を起こしているわけですが、住所差別を追認する裁判官もいる。最高裁の判事は我々が国民審査で罷免することもできるんです。差別を容認する判事には退場願うしかない。これはまぎれもなく国民運動なんです」

 

一人一票の実現に向けて、長きにわたって訴訟や運動の先頭に立つ升永英俊弁護士は、この怒りのモチベーションを常に保ちながら各所で説いて歩く。昨今はFacebookやTwitterなどのソーシャルメディアでも活発に呼びかけを行い、着実に浸透をみせている。同様に、訴訟弁護団の筆頭にある伊藤真弁護士も、

 

「特に『尊厳』は重要だと思う。自分が自分であることへの自信、人間として対等に扱われることへの誇りといってもいい。1人1票はこの個人の尊厳に関わる問題だと考えるので私は妥協できない」

 

と、人権や公平さに常日頃考えが及ぶ人にとっては、ごくごく当たり前のことを力説する。なぜ力を込めて言及するのか。裏を返せば現状はそうではないということであり、この国に暮らす個々人が自らや周囲への人権意識や差別そのものに関して鈍感あるいは無関心であることの証左でもある。長年「一票の格差=議員定数不均衡」の問題が横たわっていながら、この国の民は一般に平等や権利を自ら勝ち取るという実体験が乏しいせいか、それらが脅かされていることに無頓着と言われても仕方がない体たらくも同時に横たわっている。

 

つまりは「自分ごと」ではないか。平等や権利を脅かす差別の元凶とは毅然と対峙せねばならないし、正されることを求め続けなければならない。しかし言わずもがな、それらへの「気づき」がない限り、対峙する行動も立ち上がらない。哀しいかな、今は、この「気づき」を多くの人に呼び掛け、問いかけている段階なのだ。

 

昨年3月には前回2009年衆議院選挙の一票の格差に関する訴訟において、最高裁は「違憲状態であり立法府はすみやかに改善すべし」との判断を明確に示した。この春にかけても同様に2010年参議院選挙における訴訟の最高裁弁論と判決が控えている。違憲状態という司法判断だけでは十分ではなく、前述の通り「違憲とはいえない」という消極的な見解を示す最高裁判事の存在を是認してはならないというのが、訴訟代理人や運動にかかわる人の一貫した姿勢だ。なぜなら、繰り返し言われている「一人0.9票でも認められない」というのと同じく、判事の「憲法違反である」との全員一致がなければ憲法の番人が尊厳や平等を担保したことにはならず、それらに「玉虫色の決着」はないからである。

 

あなたの住む地域で、あなたの「一票」が実はどれだけ「一票未満」なのかについては、このサイトで確かめることができる。選挙が近付いたから話題になるとか、消費税増税論議に伴う議員定数削減や再配分というニュースをきっかけに気づくとかいうのでも、この際よしとするしかない。いつ、何によって気づくのかよりも、差別と尊厳にしっかりと思いが及ぶ「気づき」からまっとうな批判精神を醸成し、当事者として行動できるかが重要なのだから。